知床の岬

学部生時代の夏休みは、リュックを背負って(安宿泊続きで)日本中を旅しました。カニ族などという語が流行るちょっと前、戦後の復興が一段落して、未だ列島改造論に破壊されない山河があった、1960年代半ばでした。その後の院生時代の訪書旅行も含め、ほぼ日本全土に足を踏み入れましたが、遂に行けなかったのが尾瀬下北半島、そして知床です。体力に自信がなかったのと、観光以外の目的を作れなかったからですが、すでに「最後の秘境」と謳われていた知床の自然には、つよく惹かれるものがありました。

森繁久弥主演の「地の涯に生きるもの」という映画(昭和35年封切)も観に行ったと思いますが、印象に残っていません。流行り始めた「知床旅情」という歌はどうも好きになれませんでした。いま何故だろうと考えてみると、あまりに抒情的すぎ、楽天的な仲間意識に溢れていて、知床以外の北海道を廻った体験だけからしても違和感があったのだと思います。

この春先の遊覧船沈没事故はあまりに痛ましく、関係者の言動が愚かしくて、悔しさに言葉も出ません。観光客には、地元の観光業者の信用度など判断できるわけがない。体力に自信がないけれども知床の自然をちょっぴりでも味わいたい―私のような人間は、みすみす泥船のような観光船に乗ったかもしれないのです。船員だって自分の生命を張ってるのだから(無茶はしないだろう)、と。

若くして亡くなった親友の遺児が旅先で出会った男性と結婚し、新婚旅行では2人で知床半島を歩いた、と手紙を呉れたことがあります。登山靴が2足並んだ崖の写真を見た時、ああ無事に健康な娘に育った、と思わず胸が一杯になりました。

知床の岬は、そういう風につき合う土地なのです。弱虫には口惜しいけれども。

量り売りの詐術

梅雨の晴れ間を縫って大塚駅前の商店街へ出かけました。今年はあちこちの南天の花の付きがいい。この冬は楽しめそうです。南天にも生り年があるらしい。

目的は、花屋で日々草の苗を買うことです。以前は色とりどりの日々草で夏の庭を埋め尽くしたのですが、次第にあの強靱さが辛くなってきました。一昨年あたりから夏はコキアとコリウスの葉物だけで、日々草はほんの少しだけ植えることにしたのです。しかし近年は日々草も淡い春色が増えてきました。今度は何だか物足りない。3株だけ買いました。

まず野菜を買おうと店へ入ったら、青梅が何種類か出ていました。今年はすでに2kg買ったのですが、大瓶で漬けたらどんどん果汁が上がり、味見するうち人に分ける分が無くなりました。今年はこのままにしようかとも思いましたが、いつも梅雨明けには、身体を動かす仕事の女性2,3人に、一服する時飲んでね、と言って分けていたので、もう1kg漬けてもいいなと考えていたところでした。500g¥350という札が立っていて、2,3袋置いてありますが袋には内容量が書いてありません。赤く熟した実が多くて、美しい。1kgだろう、安いな、とカートに入れました。

帰宅して洗ってみたら、40個以上ある。2kgだったらしいのです。そう言えばレジでちょっと高いな、とは思ったのですが・・・計算してみると普通の青梅よりずっと高くついている。最近スーパーでは、1袋いくら、とgいくらとが混用されていて、つい今までのように1パック単位の値付けと思い込んで買うと、とんでもない目に遭う。

売る方は、最近の仕入れ価格上昇を、見た目だけでもどう誤魔化すかに腐心しているのでしょう。これからは値段や賞味期限や産地だけでなく、単位もよく見て買わなければいけません。結局、シロップ小瓶5本、それに物は試しと甘味噌漬を2瓶作りました。

体験的電子事情・インタ―ホン篇

マンションの総会で、インターホンの故障が多いという話が出ました。オートロックなのですが、コロナ禍で宅配が増えたせいか、システムが作動しなかった例が度々あるというのです。寿命は20年なのだそうで、築18年目だからそろそろ交換が必要か、と検討事項になりました。

しかし中には配達員がせっかちで、こちらが受話器を取る前に諦めてしまったり、ボタンを押しておいてカートの方へ移動したりして、システムが切れてしまう場合があり、こちらからの呼びかけは通じません。年々その例が増える気がするので、我が家では配達員に一々、10数えて2度ベルを鳴らせ、と説教していました。ドアホーンの真下で暮らしているわけじゃないから、と。管理会社は顔認証ではないから大丈夫なはず、と言うのですが、そもそもカメラに人影が映らないと電源が切れるようです。

ある日、管理人室から電話が掛かってきて、宅配が来たからドアを開けて入れた、と言う。クール便だったので配慮したのでしょうが、配達員はカメラを覗き込みながらボタンを押したが作動しなかった、と主張します。ちょうど来ていたエノキさんが聞いていて、ピピポッと押すと作動しないことがある、ピッピッポン、と押すと通じます、と教えてくれました。なあるほど、と納得がいきました。

18年前は、未だケータイとドアホーンとは別の物だったし、ケータイでも我々は若者が片手の親指でメール打ちする速さに感心して眺めたものでした。電子技術の進歩はドッグイヤー、つまり犬が年を取るのと同じくらい速い(犬は人間の5~8倍の速さで老いる)と言われますが、最近はPCのキーボードのボタンも小さく軽くなりました。何でもピピポッと押して反応を期待するようになったのです。

朝廷儀礼の式次第

近藤好和さんの「『江家次第』にみる朝廷儀礼の式次第(1)~(4)」(季刊「古代文化」73:1~4 2021/6,9,12,2022/3)を読みました。皇位継承儀礼の一部始終を追って連載で解説しています。(1)(2)は譲位、(3)(4)は即位式の準備完了までですが、今後も連載形式で考証していくとのことです。

(1)の巻頭言によれば、日本の国家儀礼弘仁12年(821)に唐礼を受容した儀式の『内裏式』が完成し、その後清和天皇の時代に『貞観儀式』が新たに編纂されたが、宇多天皇の代から摂関期に入り、律令官僚機構の枠組を残しつつも天皇の身内関係を構成原理として政治体制が変質し、政務や儀礼にも変化があったというのです。そして摂関期には有職故実が成立し、公事の先例・故実が記録されるようになり、それらの集大成として儀式書が編纂されるようになった、と述べています。

中でも基本的な儀式書が『西宮記』(源高明)、『北山抄』(藤原公任)、『江家次第』(大江匡房)で、最も具体的で詳細な記述のある『江家次第』を中心に、他の儀式書や漢文日記をも参照しながら解説を加えています。ところどころ書物ごとの食い違いや、詳細が分からない部分もあるようですが、意欲的で有益な解説です。但しレイアウトが読みにくい(横書きのせいもある)。まとめて単行本にする際には、ぜひ有能な編集者の知恵を借りて、工夫して下さい。

臨時の公事として譲位・即位式大嘗祭をまず取り上げ、次いで恒例公事を年中行事の順に取り上げる予定だそうで、遠大な作業・・・初志貫徹を期待したいと思います。書簡によると、近藤さんは御母堂の介護のために一切の職を退き、自宅でこの仕事に専念するとのこと。在宅ワークの一大記念碑になるかもしれません。

梅雨寒

梅雨寒という語がありますが、今年は何故かうす寒い日が多いようです。トシのせいかな、と思って人と話してみると、そうそう、と言われるので安心します。毛布をクリーニングに出したのに夜が寒くて、もう一度羽根布団を出したりしました。

梅を漬けました。店に出る時期が短いので、愚図愚図していると機会を逸します。砂糖だけで漬けるシロップ、レシピ本では梅と砂糖同量になっていますが、我が家では梅2kgに砂糖1kg、その代わり暑い日が続けば冷蔵庫に入れるか、酢を差して全体が濡れるように混ぜます。そうしないと梅の色が変わって黴が生え始めるからです。青梅を洗って1昼夜陰干しにし、蔕を取って、砂糖と交互に瓶に詰めていく、ただそれだけ。

去年は南高梅で漬けたら、果肉が柔らかすぎるのか、果汁がなかなか上がりませんでした。その代わり、残った梅の実は皺が寄らず、ふっくらとして蜜梅のようになり、お茶請けに最適。1日1粒、健康にもよさそうなので、知人に分けて喜ばれました。今年はふつうの青梅です。

素馨花の古枝や枯葉を取り除くのに、2時間近くかかりました。以前は蔓をほどいて剪定したのですが、もはやバスケット状態なので、外縁から少しずつ古枝を切り詰めました。これで来春もまた咲いてくれることでしょう。ムスカリの球根を掘り上げて干しました。

桔梗が咲き出しました。秋の七草なのに、近年どんどん花期が早くなって盆花になり、今や初夏の花となったようです。撤退した花屋の主は切り戻しが上手く、去年の秋口に、背丈は低いが二番花を咲かせていた苗を買ったのです。よく見ると花弁が4枚しかない。二番花を咲かせると疲労が残るのでしょうか。さて私も、二番花を咲かせることができるかどうか。薔薇は夏の花を咲かせ始め、梔子の蕾も1輪、2輪と姿を見せています。

空蝉

今年の大河ドラマは大人気のようで、以前の「平清盛」とは全く違うようです。脚本のテンポが速いこと、現代の流行を無駄になぞらないこと、それでいてあちこちで古典由来の「常識」をひっくり返していること、歌舞伎俳優と個性的な新劇俳優とを混ぜて起用したことなどが成功の理由に挙げられるでしょうが、主人公の置かれた立場と性格とが、現代社会で生きていく凡人の身に共通する点の多いこともあるかもしれません。

源平時代の物語が現代にも興味を持たれるのは喜ばしいことですが、頼朝の戯画化、矮小化には辟易すること屡々です。しかし主人公は北条なのだから、作劇の上ではやむを得ない。物語とは、そういうバイアスがあることを承知の上で読むべきものです。

中でも驚いたのは、トンデモ義経の造型でした(演じたタレントの素顔を、バラエティ番組その他で見慣れていたのも災いしました)。まるで従来の義経像を裏焼きしたかのようです。尤も、非戦闘員を殺害しても戦況を一気に有利に運ぼうとしたとの評価は、近年の歴史学では周知のことです。父祖の敵を討つことを第一義にして、三種の神器や幼帝の身柄確保の重大さを無視したことも、すでに言われています。

しかし脚本家は、従来の義経像を悉く裏返したわけではありません。義仲の子義高が蝉の抜殻を収集していることを知った時、「おまえ、それは人に言わない方がいいぞ」と呟いた場面を覚えていますか?あれは、義経の中に生涯残っていた少年性、そして彼がそれを恥じていたことを描いた(義経も鞍馬で集めた空蝉のコレクションを持っていた)のでしょう。そして中世の義経像にも、「永遠の童児」の面影は刻印されています。

能「八島」は修羅道から脱出できない義経を描いていますが、その間狂言那須与一」の落ちは、義経が与一への褒賞に「乳飲ませいやい」と言ったとあるのです。

コロナな日々 27th stage

家事代行のエノキさんが1ヶ月入院したので、週替わりで4人の人がやって来ました。うち2人はお婆さん。コロナで家事代行の需要は増えているのにスタッフは減り、忙しいのだそうです。新規採用の高齢者には研修は殆どなく、オンラインで注意事項を聞いたくらいで、むしろ派遣先で注文を聞いて覚えることが多い、と言う。家事の経験者だから、ということなのかもしれませんが、自己流なので新しいマンションには合わないことも多い(コンセントを探してうろうろしたり)。

そのうち古い掃除機が壊れました。寿命だろうと思って、区の粗大ゴミ収集に申し込んだら、1ヶ月先の日にちを指定され、思わず聞き返しました。コロナが流行してから粗大ゴミ収集の申し込みが増え、混み合っているのだと言う。在宅勤務の影響でしょう。しかしもう3年目、区は何も対策をしていないのでしょうか。

播磨坂へ野菜とパンを買いに出かけた帰り(春日通りの都バスは、コロナ前のように混むようになった)、優先席は満員だったので、私は後方の席によじ登って座りました。後から乗り込んで来たお爺さんに、優先席の人が席を譲ろうとしたところ、お爺さんは断り、腰が曲がっているだけで元気だからと語り始め、40年間働いてきて税金も払った、週4回の晩酌は欠かせないが、と問わず語りに健康法をも話し続けました。鼻マスクで大声なので、前に座っている人はむしろ立ち上がりたかっただろうな、と苦笑しながらバスを降りました。話したくなる気持ちも、分からないではありませんが。

マスクをしない人が次第に増え始めました。久しぶりに目鼻口の揃った顔を見るのは、嬉しい気もします。しかし連れた子供と大声で話しながら、また歩き電話でマスクなしなのは、抵抗感があります。