学部生時代の夏休みは、リュックを背負って(安宿泊続きで)日本中を旅しました。カニ族などという語が流行るちょっと前、戦後の復興が一段落して、未だ列島改造論に破壊されない山河があった、1960年代半ばでした。その後の院生時代の訪書旅行も含め、ほぼ日本全土に足を踏み入れましたが、遂に行けなかったのが尾瀬と下北半島、そして知床です。体力に自信がなかったのと、観光以外の目的を作れなかったからですが、すでに「最後の秘境」と謳われていた知床の自然には、つよく惹かれるものがありました。
森繁久弥主演の「地の涯に生きるもの」という映画(昭和35年封切)も観に行ったと思いますが、印象に残っていません。流行り始めた「知床旅情」という歌はどうも好きになれませんでした。いま何故だろうと考えてみると、あまりに抒情的すぎ、楽天的な仲間意識に溢れていて、知床以外の北海道を廻った体験だけからしても違和感があったのだと思います。
この春先の遊覧船沈没事故はあまりに痛ましく、関係者の言動が愚かしくて、悔しさに言葉も出ません。観光客には、地元の観光業者の信用度など判断できるわけがない。体力に自信がないけれども知床の自然をちょっぴりでも味わいたい―私のような人間は、みすみす泥船のような観光船に乗ったかもしれないのです。船員だって自分の生命を張ってるのだから(無茶はしないだろう)、と。
若くして亡くなった親友の遺児が旅先で出会った男性と結婚し、新婚旅行では2人で知床半島を歩いた、と手紙を呉れたことがあります。登山靴が2足並んだ崖の写真を見た時、ああ無事に健康な娘に育った、と思わず胸が一杯になりました。
知床の岬は、そういう風につき合う土地なのです。弱虫には口惜しいけれども。