空蝉

今年の大河ドラマは大人気のようで、以前の「平清盛」とは全く違うようです。脚本のテンポが速いこと、現代の流行を無駄になぞらないこと、それでいてあちこちで古典由来の「常識」をひっくり返していること、歌舞伎俳優と個性的な新劇俳優とを混ぜて起用したことなどが成功の理由に挙げられるでしょうが、主人公の置かれた立場と性格とが、現代社会で生きていく凡人の身に共通する点の多いこともあるかもしれません。

源平時代の物語が現代にも興味を持たれるのは喜ばしいことですが、頼朝の戯画化、矮小化には辟易すること屡々です。しかし主人公は北条なのだから、作劇の上ではやむを得ない。物語とは、そういうバイアスがあることを承知の上で読むべきものです。

中でも驚いたのは、トンデモ義経の造型でした(演じたタレントの素顔を、バラエティ番組その他で見慣れていたのも災いしました)。まるで従来の義経像を裏焼きしたかのようです。尤も、非戦闘員を殺害しても戦況を一気に有利に運ぼうとしたとの評価は、近年の歴史学では周知のことです。父祖の敵を討つことを第一義にして、三種の神器や幼帝の身柄確保の重大さを無視したことも、すでに言われています。

しかし脚本家は、従来の義経像を悉く裏返したわけではありません。義仲の子義高が蝉の抜殻を収集していることを知った時、「おまえ、それは人に言わない方がいいぞ」と呟いた場面を覚えていますか?あれは、義経の中に生涯残っていた少年性、そして彼がそれを恥じていたことを描いた(義経も鞍馬で集めた空蝉のコレクションを持っていた)のでしょう。そして中世の義経像にも、「永遠の童児」の面影は刻印されています。

能「八島」は修羅道から脱出できない義経を描いていますが、その間狂言那須与一」の落ちは、義経が与一への褒賞に「乳飲ませいやい」と言ったとあるのです。