たたき起こす

激怒しました。昨日の朝刊(朝日6月7日付14版1面)には、日銀総裁が講演で、家計の値上げ許容度が高まってきていると発言したと報道されていました。根拠は「なじみの店で10%値上げがあったら他店に移る」というアンケート回答が、この4月には大きく減ったからだというのです(どんなアンケートなんだ!)。4月の消費者物価指数は2%上昇、3月の実質賃金は前年比0.6%増(じつは4月は1.2%減になった)、来年度以降の賃金上昇に繋げることが重要だが金融緩和は続ける、という。「値上げ許容度」なんて言葉があるのか。それを日銀総裁が簡単に口にするのか。

同じ新聞の4面には元総理が講演で、「家計なら借金はまずいが政府は日銀と共にお札を刷ることができる。家計に喩えるのは間違っている」と語ったとある。昔話の世界じゃあるまいし、木の葉のお札で値上げ商品を買ってほくほく暮らすほど、私たちは能天気ではありません。現総理は新資本主義とやらの説明に窮したか、国民の金融資産を「たたき起こす」と発言しました。日銀総裁も、コロナ禍で家計の貯蓄高が増えているという仮説を述べたそうです。怖ろしや!家庭の貯蓄は、遊んでいる金ではありません。木の葉のお金が木の葉に戻った時のための保険なのです。自助の備えです。

日銀総裁は、その日のうちに「誤解を招く発言だった」と記者団に陳謝したそうですが、中央銀行総裁ともあろう者が、国民に忍耐を強いる政策を怪しげな根拠で言うものではない(同じ新聞の20面には、食糧支援を求める人数が増えて、援助するNPOが苦慮している記事が出ています)。総裁も元総理も、つまりは自分のやってきたことは正しかった、と主張しているだけに見えます。そのために餓死してたまるか。たたき起こさなければならないのは、まさにあなた方の良心を、でしょう。

阿波国便り・国分寺篇

徳島の原水さんから、耐震補強工事が済んだ国分寺へ行ってみたとメールが来ました。

阿波国分寺

国分寺は、以前は崩れ落ちそうな感じで伽藍内部が古色を帯び、今まで巡った徳島の寺院では一番のお気に入りでした。ところが昨年改修され、綺麗にはなりましたが、雅趣がなくなってしまいました。私としては残念です(原水民樹)】。

本堂

調べると、天正年間に兵火で焼け荒廃していたが、江戸時代に再建されたとのこと。それでも300年経てば古色がつき、私たちにとっての「神社仏閣」らしい懐かしさを発揮していたのでしょう。木材や自然石で造られたものには、歳月が足してくれる風格があります。それを洗い落としてしまうと、何だかよそよそしくなる。

七重の塔礎石

もとは七重の塔があったらしいのですが、塔の位置も姿も今は分からなくなったようです。国分寺四国八十八箇所の札所でもあり、石組みが珍しい庭園もあったとのこと。かつて移動がたやすくなかった時代には、各地にそれぞれの文化があり、中心となる名所があった。今の眼で見ると、地方にこんな立派な建築物、それを造る技術があったのかと驚きますが、殆どの人が生まれた土地から離れずに一生を終えた時代には、それぞれの土地に人知を尽くした文化遺産があって、それらを守っていく歴史があって、人それぞれの世界観を創りあげるよすがとなっていたのだ、と改めて思います。

本屋の棚

先日、新聞で荒井祐樹さんのコラム「生きていく言葉」を読みました。「置き場に困る「いい本」を」という見出しで、ある精神科病院のアトリエについて取材した本を出したところ、知人の出版関係者から「本屋が置き場に困るでしょうね」と言われた話を書いています。書店が売り場の棚に出す時に、医療・福祉か芸術・アートか分類に迷うだろうという意味で、業界人からすれば販売戦略が立てにくい、という忠告として荒井さんは受け取り、しかし書店員の中には、ジャンル分けに迷う本にはいい本が多いと言ってくれる人もいたそうです。

荒井さんは、「世界は書店の棚より複雑にできている。ややこしく入り組んだ世界の魅力を書くのが自分の仕事」と言っていて、「本屋が置き場に困る本」を執筆方針にしているそうです。共感しました。本屋で本を探していると時々、この本がこんな所に置いてある!と思うことがあります(そっと移しておくこともある)。

荒井さんは、勤務先の大学では近現代文学のポストにいるようですが(肩書は障害者文化論研究)、障害者と芸術との関係について現場を取材した結果を書いているそうで、今度本屋で探してみたいと思います。学際的研究への移行が声高に叫ばれた時期があり、たしかに学問の領域は広がり、既成の分類では当てはめにくい分野が増えました。でも荒井さんの場合は学際性というより、実践と研究の交差した分野というべきでしょうか。

大通りにシェア型書店なるものがオープンしました。30cm四方・奥行というボックスを、2年間¥11000の会費、1区画1ヶ月¥3300、それに売れた価格の5%を払うという契約で、店番は不要だという。今のところ手持ちの古本を出している人が多いようでした。新商売です。書店の棚もコミュニケーションの一手段、と謳っていますが。

列伝体妖怪学前史

伊藤愼吾・氷厘亭氷泉編『列伝体 妖怪学前史』(勉誠出版 2021/11)を読みました。伊藤さんの仕事もいよいよ実を結び始めたなあ、というのが率直な第一印象です。本書の内容は、広義の「妖怪」に関する広義の「研究」史、そういう仕事をした23名の人々の略伝と、「妖怪学名彙」と題した解説11項目、その隙間を埋めるコラム7項目、妖怪学参考年表、それにたっぷりの図版などです。7人の共著になっていますが、いずれ劣らぬマニアらしく、体系的な資料収集はなされて来なかったであろうこの分野のディープな部分にまで、目配りがされています。明治以降1996年まで、列伝は物故者に限り、第一部戦前編に始まり、1965年を以て戦後を前期と後期に分けた三部構成です。

列伝中、私が多少なりとも知っている名前は井上円了柳田国男南方熊楠江馬務平野威馬雄水木しげる、渋沢竜彦の僅か6名でしたが、その中の幾人かは幼年時代に児童向け雑誌で見かけた名前でしたし、幾人かは軍記物語の生成論に関して、先達と仰いだ人たちでした。戦後の生活改革の一環に、迷信一掃運動があったことも思い出しました。近年の妖怪ブームとは別に、私たちの精神形成にとって冥の世界、冥と顕との境界への考察は欠かせぬものであることを、改めて認識した次第です。

また妖怪研究は絵画と密接に結びついていること、伝承されてきた妖怪のほかに創作もどんどん交じっていくこと、この分野は在野の研究者が多いことなどは、門外漢にも納得がいきます。ところどころ、意味のとらえにくい文章があったり、小さなミス(編集者が内校をすれば防げたのでは。例えば脱字や、文中と図版のキャプションとが食い違っている等)があったりしますが、ペーパーバック・全340頁・¥2800は、マニアならずとも手に取ってみる値打ちはあるでしょう。

花屋をさがす

ここへ引っ越して18年、老舗の花屋が代替わりし、いくつもの花屋が出来ては潰れました。ここ数年行きつけだった花屋も、コロナで経営が難しいところへ店舗の賃料が高すぎる、というので出店を止め、電話注文だけの商売をすると言って撤退しました。配達は¥6000以上から、と言うので、それなら花キューピッドを使う方が手っ取り早い。定年後は毎週新しい花を買って、と思い描いていた夢は崩れました。

お祝い事のサプライズなどに、個性の出せる注文を聞いてくれる店を持っていると便利なのですが、今やそれはとんでもない贅沢になったようです。老舗の花屋は法人相手の商売中心になり、個人で届け物を注文すると、売れ残りの商品を集めて花束を作る。大通りの花屋は、買った花をブランドの紙袋に入れてくれるのはいいが、女将がいやに権高くて、こちらが命令されるようで買いにくい。

弟の命日の花をどこで買おうか、迷いました。大塚駅前商店街にあるバラック建ての店は、花は安いのですが根元を包むだけで別料金が必要。駅ビルに日比谷花壇が店を出しているので入ってみると、あちこちにサブスクの札が挿してある。何のことかと訊いてみたら、あらかじめ定額を払えば、毎週その金額内で指定された花が買えるのだそう。忙しい勤めの日々に1,2輪の花を飾るには便利なのか、花屋や本屋は自分の目で見ながら選ぶのが楽しみの核心だと思うのですが・・・よそより値は高いが、5日以内に萎れたら、写真を撮って持参すれば新しい花と交換できるシステムにもなっていると言う。若向きに、新しく工夫した商売方法なのでしょうが、どうもなじめません。

けっきょく、権高い女将に指図されながら大通りの店で小さな花束を求めました。豪華な大輪でなく、庭作りが好きだった弟らしく、やさしい花をあれこれ混ぜて作りました。

源平の人々に出会う旅 第65回「北本市・蒲冠者範頼伝説」

 源氏軍の大手の大将軍として平家軍と戦った蒲冠者範頼は、搦め手の大将軍である弟義経の活躍に押されて目立たない人物です。また、兼好法師の『徒然草』に「蒲冠者のことはよくは知らざりけるにや、多くのことどもをしるしもらせり」とあるように、『平家物語』にも記述が少なく、その人物像も最期の様子もはっきりしていません。

源範頼堀之内館跡(石戸神社)】
 『吾妻鏡』建久4年(1193)8月17日条には、範頼は謀反の疑いで修善寺に幽閉されたとありますが、埼玉県北本市の石戸宿は、範頼がこの地に配流されたと伝わっており、石戸神社付近は範頼が居住した堀之内館跡といわれています。

 

石戸蒲ザクラ(東光寺)】
 東光寺は範頼が娘亀御前の追福として建立したと伝わり、境内には範頼の杖が根付いたという石戸蒲ザクラがあります。根元の五輪塔の由来は不明ですが、範頼の墓ともいわれています。


【廣徳寺大御堂(美尾屋十郎廣徳館跡)】
 北本市に隣接する川島町には、屋島合戦(元暦2(1185)2月)で活躍した美尾屋(三保谷)十郎の居館跡があり、北条政子が十郎の菩提を弔うため、この地に大御堂を建立したと伝わっています。十郎が悪七兵衛景清に掴まれた錣を引きちぎって逃げたという逸話は「錣引き」と呼ばれ、江戸時代にも人気がありました。

 

〈交通〉
 JR高崎線北本駅桶川駅
        (伊藤悦子)

 

米国からの訪客

米国のボードイン大学教授ワイジャンティ・セリンジャーさんが、40日間の留学のため来日、我が家を来訪しました。春に来る予定だったが、家族全員がコロナに罹り、遅れたとのこと。切望していた留学がやっと叶って、図書館の中を歩いているだけで嬉しさがこみ上げてくる、と言っていました。専門は、源平盛衰記を中心に日本中世文学。

米国の大学は原則として全寮制なので、大学構内をバブルに閉じ込め、留学生は一旦本国へ帰し、ずっとリモート授業だったそうです。国によって時差があるので同じ授業を2回やったのに、給料は5%カット(休学者が増えたため)、物価は8%上がった、もうすぐ子供たちが大学年齢になるので、夫婦でフィナンシャル・プランナーに相談に行ったら、このままでは老後は苦しいと指摘された、と話していました。

今年からは週2回のPCR検査を条件に、対面授業になったそうです。全寮制大学の入試では、高校の成績と小論文のほかに、スポーツや文化行事で発揮できる得意分野があることが必要(寮というコミュニティの中に溶け込めるため)なのだそうで、職場の学生の世話の上に自分の子供たちの心配も加わった、と言っていました。

米国はいま2極分化してしまった、という話も出ました。トランプ再選もあり得る、バイデンは昔の左翼なので今となっては中道派、両陣営から攻撃を食らう結果になるというのです。若い人たちはあらゆることに「社会批判」をするようになり、文学研究でも学校教育でも、家庭内でも、批判意識が乏しい、と批判するそうです。何故そうなったのかと訊くと、インターネット社会だからとのこと。分かるような気がします。

日本文学研究の話もしました。従来の研究とは異なる視点を打ち出したい、でも日本文化の背景を全て知っているわけではないので、時々日本へ来て議論したい、と。