アフターコロナ

第6波が来るのは確実、と言われながら緊急事態宣言全面解除が決まりました。最近、街では若い男性のノーマスク姿が増えた気がします。然るべき所では、この2年間のてんやわんやを踏まえて、ネックとなった問題を解決する準備が進められているのでしょうね、ウィズコロナからアフターコロナへ。そう信じたい。

医療制度(中でも人材育成と非常時の機能維持)、保健所など公衆衛生担当の組織改革が抜本的に必要です。医療関係者の間ではすでに20年以上前から、今後は感染症が問題になる、と囁かれていたのだそうですから(本ブログも昨年書きました)、どういう人材育成と制度補修が必要なのか、広く議論され、公開されていいはずだと思います。

新聞報道(9月15日付朝日朝刊)によれば、文科省は来年度から、地域に足りない分野の医師養成プログラムを大学医学部が実施する場合の支援を予定しているそうです。救急医療や感染症内科の医師、総合診療医が足りないことに鑑み、各都道府県の医療計画に基づいて重点的な育成を支援するという。実習授業を前倒しする、オンデマンドの講義をリモートで受けられるようにする、オンライン診療の訓練などの新たな教育システム開発と運用の重点校16校に年1億円、7年間支給できるよう、来年度の概算要求に盛り込んだ由。合計112億円、与党の金銭感覚からすれば安いものでしょう。

コロナが落ち着いたら、保健所、児童相談所、入国管理局、生活保護・職業安定の窓口などの体制を見直して欲しい。旧い役所体制以来これらの部署は、目前の事案を払いのけ、要求を抑え込むことが問題解決だという姿勢を捨てきれずにいる(自覚なしに)。人員を増やすことはもとより、社会の安全ネットは自分たちが担っているのだという意識を浸透させて欲しい。やたらに庁を新設するより、今ある制度を有効化することが喫緊。

愛したのが家族だった

岸田奈美さんの自伝的エッセイ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』(小学館 2020)を友人から借りて読みました(最近の本はむやみにタイトルが長い。TV番組やタレントの場合はラテ欄を独占するため、論文名の場合は検索に引っかかりやすくするためだそうですが、書籍でははた迷惑な場合もある)。

中学生で父を亡くし、高校生で母が下半身不随になり、爾来、21トリソミー(ダウン症)の弟と3人家族だった著者は、ネット上に書いた文章にファンがつき、「作家」になったのだそうで、なるほどネット育ちの文章の典型と言えるかもしれません。著者紹介に100字で済むことを2000字で伝える作家、とあるのは言い得て妙です。

しかし彼女の突破力はすごい。関西という風土のおかげもあるのでしょうが、自虐寸前の笑いが翼となって、彼女をも家族をも(多分、周囲の他人をも)持ち上げ、運んでくれるようです。福祉学部の起業学科を卒業し、障害者の社会的自立を図る株式会社ミライロに勤め、一方で母も車椅子でバリバリ、弟もマイペースで人とつながって、輪が広がっていきます。「進め!岸田一家」とでも声をかける気になります。ふと、林真理子のデビュー当時を思い出しました。

障害者にもふつうに笑ったり怒ったり、働いて給料を得る生活を、という運動は、明翔会の中尾文香さんから教えられて私も知っています。そういう運動もまた、ふつうの職業と変わらず大変だったり楽しかったりするのがいい。福祉は特別なことでなく。

書名の意味は、そう考えたら楽になるよ、という反語だと思います。実際は家族だから逃げられない、愛するようにどうしたらなれるか、日々の中でそうなっていく、というものでしょうが、家族もまた自分が選んだ人生の1齣、と考えれば、血の繋がりに束縛され、圧し潰されることもなくなる。これは24字でなく100字で言わなくちゃ。

シンポジウム・平家物語と国語教育

軍記・語り物研究会シンポジウム「軍記研究が国語科教育へ届けるべきことは何か」(オンライン)を視聴しました。講師は4人、①栃木県立那須拓陽高校 大谷貞德「生徒の実態を踏まえた指導実践」②暁星中学・高校 吉永昌弘「中学生と「敦盛最期」を読む」③愛媛大学 小助川元太「古典を<読む>授業へ」④早稲田大学 大津雄一「『平家物語』で「道徳」を教える!?」、①②は実践報告、③④は教育学部の教員としての立場から。軍記といっても中高の古典教育で取り上げられるのは平家物語だけと言ってもいいので、取り上げた教材は①が「能登殿最期」、③は「木曽最期」でした。質疑応答は司会者がまとめてしまいましたが、現職教諭からも含め20問ほどが寄せられました。

こういう企画ではけっきょく、実践報告が有益です。同じ教材で複数の実践報告を並べて聞いてみたい気がします。①は農業高校で、文学の博士課程出身者が工夫する授業、②は中高一貫教育のミッション校、③は現場教員の相談にも乗り、教科書編集にも携わる立場、という相違がよく出ていました。①は物具を脱ぐ、という記述に注目したところに教師の工夫があり、②は中学段階と高校段階とを連続・展開として計画できるところに特色があります。③は新指導要領以降は古典の授業を「訳す」から「読む」へ変え、その過程で論理的思考も養えるという実践のあり方を示していました。

しかし趣意文にも総括でも、研究から教育現場へ何を届けるか、あるいは現場が研究に求めるもの、という姿勢が打ち出されたことには違和感を禁じ得ません。文学研究と文学教育は、それぞれ並行して在るものではないでしょうか。互いにその成果を享受しつつ進む。マニュアル本のような発信を研究者に期待するのはいかがなものか。それではいつも、気に入らないと思いますよ。

軍記・語り物研究会のサイトから、本シンポジウムの実況動画を視聴することができます。次回は、理系の学生に教える文学教育、という企画は如何。

鎌倉殿と執権北条氏

坂井孝一さんの『鎌倉殿と執権北条氏―義時はいかに朝廷を乗り越えたか』(NHK出版新書)を読みました。このところ坂井さんは実朝や鎌倉政権、承久の乱について立て続けに新書(中公新書PHP新書)を書いていて、本書も含め三部作だそうです。しかも従来の人物観、幕府体制に関する通説につぎつぎ大胆な反論を出し、その勢いはますます旺盛です。実朝は決して文弱な将軍ではなかった、政子は実家のために子を犠牲にした鬼母ではない、などがそうですが、本書でも大きな提言があります。

本書の章立ては、1伊豆の国における北条氏 2流人時代の頼朝 3頼朝の幕府樹立と北条氏 4頼家・実朝政権下の北条氏 5承久の乱と北条氏 となっており、頼朝の流人時代から説き起こし、伊豆の武士団の力関係や北条氏の視点からみた源氏将軍、承久の乱前後を語るところに特色があります。『吾妻鏡』や『愚管抄』、幕府の発給文書などを駆使しながら、その虚構性にも注意を払い、事実とそれが記録上にはどう残されたかとを相対的に語ろうとしています。

中でも大胆な提言は、流人時代に頼朝が最初の子をなした伊東家の女について、後に頼朝が北条義時と娶せたのではないか、つまり泰時の母阿波局がその人では、という推測です。頼朝の人脈作り、体制固めの方法は縁戚関係による部分が大きかったことを改めて認識しましたが、この提言はあまりにドラマ向きな気もします。今後の議論が待たれるところ。また鎌倉13人衆と呼ばれた人々の合議制度は確認できず、頼家への訴訟の取り次ぎが出来る宿老を13人に限定したに過ぎない、との提言も重要です。

坂井さんは来年の大河ドラマ監修者。制作者とのどんなせめぎ合いの結果が放映されることになるか、楽しみです。

近所に白山吹の繁みがあって、黒くつやつやとした実がたくさん実ります。そのままでは舗道に落ちるだけなので、こっそり採種して我が家にも、あちこちの放置プランターにも播いていましたが、芽はすぐ出るものの何故か育ちません。諦めかけていたら、去年、スパティフォラムの鉢からひょっこり、それらしき芽が出ました。この鉢に播いた覚えはないが、と思いながら深鉢に移植すると、ぐんぐん伸びる。これなら花を見られそうだと日向に置いたら、葉が日焼けして斑入りのようになり、半日陰に移しました。

その後も枝がずんずん伸びる。葉も大きすぎるようだが、樹木は環境に慣れた1年目は巨大な葉を茂らせることがある(大島桜は我が家に落ち着いた年、紫陽花のような葉をつけた)ので、楽観していたのですが、どうも幹が山吹とは違います。高さ40cm、枝は半径50cm以上に広がり、やや枝垂れる。ウェブで検索しました。

結果は―欅、それも枝垂れ欅という種類らしい。呆然としました。巨木になります。それだけが取り柄みたいな(紅葉しますが)木です。せめて椋か榎なら実が楽しめるけど、と調べましたが、やっぱり欅。そう言えば近くに30mにもなる欅が1本ある。我が家では盆栽にするしかないが、もう手遅れかもしれず、私には盆栽の知識は全くありません。

かつて勤めた宇都宮大学には欅の大木が多く、実生の芽が芝生の縁に沿ってスプラウトのように生えました。どうなるのかと見ていたら、職員が小さな平鉢にびっしり植え込んでいました。雑木林のような盆栽に仕立てるのでしょう(宇大には農学部があった)。写真で見たことがありますが、風情のあるものです。しかしウェブで見ると、欅の盆栽仕立ては1年中あれこれと手がかかるらしい。とりあえず、長すぎる枝を剪り、洗面所に赫いコリウスと一緒に活けました。勢いがあって美しい。さて来年からどうするか。

軍記物語講座読後感2-2

アメリカ文学専門の友人から、軍記物語講座(全4巻 花鳥社)の読後感が送られてきました。第2巻『無常の鐘声』を中心に読んだそうです。専門外の人からの感想は嬉しい。一部、紹介させて貰うことにしました。

【まず、古典文学および古典文学研究の確かな存在感に圧倒されました。佐倉由泰氏による「まえがき」冒頭の一節、「『平家物語』の表現はよく動く』」は、修辞法を駆使するテキストの表現法を端的に示していると思いました。また、激しい動きがある一方、無常観に代表される単一性が目立つとの指摘は刺激的でした。

平家物語の軌跡」中の「現代人にとっての『平家物語』」は、私のような一般読者には興味深い観点だと思いました。「避けられぬ死を前に彼らはどのように行動したか、どのように生を全うしたかという具体例が差し出されているのである。それが読めるならば、『平家物語』はもはや遠い世の物語ではない」(p18)。深く頷きました。

平家物語』(他の軍記も同様でしょうが)がなぜ、書かれたかという構想に関する問いの部分(p14~15)も興味深く読みました。以前、日本史の方からのコメントにも、「いつの時代でも、自分が生きている時代がどのような時代で、どう総括すればいいかは、重要な課題であったというのは、確かにその通り」とありましたね。同感です。『平家物語』に描かれている事件が起きた時代と、物語が成立した時代との間がほどほどに離れていたため、事件を様々に伝えることができた、その時代を生きた有名無名の人々がそれぞれの立場なりに納得できるような「現代史」が書かれた、そして、その「現代史」が蓄積された結果、諸本が成立した、ということになるのでしょうか? 

20年先の研究の頭出しをとの願いが込められた講座刊行だったとのことですが、他ジャンル(歴史学、芸能、和歌、音曲など)とのコラボによる研究への期待、次世代の研究・研究者へのバトンパスに対する強い意識、を本の随所で感じました。私も『平家物語』通読を今後の目標の一つとしました。楽しみながら読みたいと思っております。】

読みやすいテキストとして『完訳日本の古典 平家物語』(全4冊 小学館)をお奨めしました。

回想的長門本平家物語研究史(6)

国書総目録では、諸本分類には踏み込まない、というのが原則でしたが、平家物語の場合、それでは所在情報として役に立たない、と私は主張しました。先輩の栃木孝惟さんも同意見を具申したので、平家物語に関しては判る範囲で諸本を( )つきで注記することになりました。能や幸若に関しても例外措置が執られたようです。都内に在る本はできるだけ実見することになり、栃木さんに同伴して2年がかりで見て歩きました。

読み本系はだいたい判定できますが、語り本系はどう分類すればいいか(殊に端本の場合は同定に困ることもある)悩み、山下宏明さんに相談しました。同門の師である市古貞次先生が「山下君はどっかに平家物語があると聞くと、すぐ飛んで行っちゃうんだよ」と仰言っていて、日本中の平家物語を見ている人、という評判だったのです。膨大な所在情報の塊から、まず「平曲譜本」を切り離し、語り本系諸本は灌頂巻の有無によって「一方系」「八坂系」に分ければいい、と助言されました。「流」ではなく「系」という語を使えば、形態上の分類であって平曲の流派によるのではないことが判る、と。

その後私は、国書刊行会本とノートを詰めたボストンバッグを提げて全国の長門本を見て回り、そのついでに平家物語の写本版本も見て歩きました。福岡から函館まで。しかし学園紛争は燎原の火のように全国に広がり、行く先々で学園封鎖になっていきました。赤間神宮の調査を終えて明日、関門トンネルを通るという晩、九大から電報が来て引き返したこともあります。

書誌学の経験もろくになく、全国に70部以上存在する、1揃20~21冊という写本といきなり取り組んだことは、殆ど暴挙でした。写真撮影もできず、ひたすら基本的な書誌情報をメモしただけ。そのメモを付録につけて修士論文を1970年2月に提出したのですが、口頭試問で市古先生が「こういう研究もあると思うんですよね」と仰言ったので、これは文学研究なのかという批判が他の教官から出たんだな、と悟りました。