回想的長門本平家物語研究史(6)

国書総目録では、諸本分類には踏み込まない、というのが原則でしたが、平家物語の場合、それでは所在情報として役に立たない、と私は主張しました。先輩の栃木孝惟さんも同意見を具申したので、平家物語に関しては判る範囲で諸本を( )つきで注記することになりました。能や幸若に関しても例外措置が執られたようです。都内に在る本はできるだけ実見することになり、栃木さんに同伴して2年がかりで見て歩きました。

読み本系はだいたい判定できますが、語り本系はどう分類すればいいか(殊に端本の場合は同定に困ることもある)悩み、山下宏明さんに相談しました。同門の師である市古貞次先生が「山下君はどっかに平家物語があると聞くと、すぐ飛んで行っちゃうんだよ」と仰言っていて、日本中の平家物語を見ている人、という評判だったのです。膨大な所在情報の塊から、まず「平曲譜本」を切り離し、語り本系諸本は灌頂巻の有無によって「一方系」「八坂系」に分ければいい、と助言されました。「流」ではなく「系」という語を使えば、形態上の分類であって平曲の流派によるのではないことが判る、と。

その後私は、国書刊行会本とノートを詰めたボストンバッグを提げて全国の長門本を見て回り、そのついでに平家物語の写本版本も見て歩きました。福岡から函館まで。しかし学園紛争は燎原の火のように全国に広がり、行く先々で学園封鎖になっていきました。赤間神宮の調査を終えて明日、関門トンネルを通るという晩、九大から電報が来て引き返したこともあります。

書誌学の経験もろくになく、全国に70部以上存在する、1揃20~21冊という写本といきなり取り組んだことは、殆ど暴挙でした。写真撮影もできず、ひたすら基本的な書誌情報をメモしただけ。そのメモを付録につけて修士論文を1970年2月に提出したのですが、口頭試問で市古先生が「こういう研究もあると思うんですよね」と仰言ったので、これは文学研究なのかという批判が他の教官から出たんだな、と悟りました。