幸せの選択肢

ダイバーシティという理念で括られる運動の中で、障害者への対応と、同性婚に関して、私には何か歯に引っかかる、あるいは喉につかえる感じがあって、うまく問題を掴み出すことができずにいたのですが、前者について16日付朝日新聞朝刊(13面)の岸田奈美さんの寄稿「幸せの選択肢」にヒントの一部が得られるような気がしたので、書いてみます。後者はもう少し考えてから。

パラリンピックには何かしら自己矛盾がある、そんな気がしていました。障害者スポーツはもともと戦傷者の機能回復のために奨励されたのだそうで、有目的だったし、他者との比較級で行われるものではなかったわけです。パラ五輪の出場者は今やアスリートと呼ばれ、メダルも国家ごとに数えられたりする。どこかちぐはぐです。

岸田さんはネット出身のライターだそうですが、長文の寄稿は、身近な実例から出発して、一直線に結論へは趨らず、幾つもの体験を転々と綴りながら、障害者の世界にも差別や競争があること、スポーツにはどうしても熟練度や勝負がつきまとうこと、障害者・健常者に関係なく人は、自分の幸せを選択し、そのために情熱を傾ける姿が素晴らしいのだということが解ってきた、と語ります。「身体に障害があるのにスポーツをしているのがすごいんじゃない。社会にある環境や障害にぶち当たりながらも、スポーツで輝くのがきっとすごいのだ」と。

「自分らしく幸せに生きるための手段や居場所」が「無数の選択肢」の一つとして在り続ける社会、みんなが一律に記録を競うのでなく、互いの安全と理解を妨げない保障の上で、めいめいが幸福追求にいそしむ姿を楽しく眺められる社会が望ましい。だとすれば、パラリンピックを五輪に並置することが正解なのかどうか。

巴里からの電話

昨夜、夕食後に電話が鳴りました。出てみたら、巴里のj.ピジョーさんからでした。特別な用事ではないけど、と断って、15分ほど互いの近況を話しました。毎年、秋には訪日していたのに、昨年も今年もCOVID19のためできずにいる、そのうちに自分が旅行できなくなるかもしれない、と言われました。巴里は映画・観劇は自由、以前のように外出目的を一々届ける必要はなくなったがマスクは必須、とのことでした。

ピジョーさんは、京都賞も受賞した、中世日本文学の専門家です。一昨年までは毎年来日し、研究に必要な知識を入手したり、国内を旅行したりしていました(各地で、秋の海で泳ぐのを楽しみにしているので、心配させられました)。海外旅行は禁止されてはいないが、もし日本で罹病すると難しいことになるのでと言われ、それは国内の私も同じ。

互いにいま何をしているか、尋ねました。ピジョーさんは、日本古典文学作品から、海に関する名場面を抜粋して仏語訳した本を出版しようとしており、翻訳はもうできたが、どの程度解説をつけるか迷っていて、専門の異なる文学好きの友人に原稿を読ませて、意見を訊いているところだそうです。軍記物語では義経記源平盛衰記を取り上げた、仏蘭西で一番有名な日本人は義経だから、と笑っていました。

部分訳でも源平盛衰記の仏語訳はこれが初です。昨年、安徳天皇入水(巻43)の本文について相談されたので、私は宗盛父子が生け捕りとなる場面もつけることをお勧めしました。彼らはなまじ「水練」、水泳が達者だったので、海の上で互いに相手が沈んだら自分も沈もうとぐずぐずしている内に捕虜となる。水泳好きのピジョーさんにも相応しいし、平家の敗因の一つとなった宗盛の性格をよく表す挿話だからです。

来年は逢えるでしょうか。老人にとって1年の空白は、生涯の空白になりかねません。

阿波国便り・実りの秋篇

徳島の原水民樹さんから、先週このブログに書いたアムンゼンの物語はかつて愛読した、とメールが来ました。

【子供の頃読んだアムンゼンとスコットの南極点到達競争の物語を思い出しました。縁側に寝転んで、宝島や巌窟王などを読みふけっていたあの頃が一番幸せだったかも。】

アムンゼンとスコットの話は、小学校国語の教科書に出ていたと思います。当時は講談社から少年少女向けの世界文学全集が何種類も出ていて、「巌窟王」は、私もそれで読みました。缶詰の話は後年、新聞記事で読みました。

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渋柿

【野山はもうすっかり秋の風情です。もうしばらくすると、焼酎で渋抜きをした柿が産直などで売り出されます。干し柿のようにくどくなく、さっぱりした甘さです。一度自宅で渋抜きを試したことがありますが、うまく出来ませんでした。】

焼酎で渋抜きした柿はさわし柿とか樽柿というらしい。ほたほたとした柔らかさと甘みが美味しいですね。写真では、そろそろ色づき始めています。

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キウイ

【若い頃、古典に出てくる「こくわ」をゆかしく思っていました。しかし、それがキウイの仲間と分かった途端興味が失せました。私はキウイアレルギーなので。(原水民樹)】

果物アレルギーは気の毒ですね。調べてみると、果物の中ではキウイがダントツにアレルギーを起こしやすいそうです。学校給食には出さない方がいい、とありました。以前、このブログにもキウイのことを書きましたが、またたびの仲間。花は苺に似ています。野生のコクワ(サルナシ)は、小ぶりで、キウイと違って獣毛のような毛がありません。一度、ベビーキウイの名で店に出ていたので買ってみましたが、食べやすいけれど小さすぎて物足りない。山野で遊ぶワイルドな子供たちのおやつ向きです。

コロナの街・part 23

ウィズコロナももう1年8ヶ月、生活様式の変化が残すいいものもあるでしょうが、2年を超えると、取り返せない爪痕にも注意を向けておかなければと思います。殊に学校関係では後々の世代への、見えない負の遺産が蓄積する恐れがある。小学校、中高、そして大学、大学院と、それぞれ事情は異なるでしょうが、日程的にカリキュラムを消化できたからと言って安心はできません。

先日の研究会の後、様子を訊いてみました。大教室が少なく、距離を明けると大人数の講義はできない、学生の事情(同居の家族構成や通学手段など)も個々別々なので、当分講義はハイブリッド、演習や勉強会はオンライン(学内で開くには全員を追跡できるよう記録を取る)、学食は個別席で黙食、とのことでした。院生たちは研究室も図書館も開いているから(もともと東大の文系の研究室は毎日は開いていない)不自由していない、と言う。構内は学外者立ち入り禁止ですが、当事者は困らないようになっているらしい。

OB・OGたちが、放課後呑みに行った店が潰れなければいいけど、と言うので、私が「いやいや、本郷の呑み屋はオジサンたちで一杯ですよ、休日にはカップルが手つないでノーマスクで歩くし」と言ったら、一瞬しんとなり、教員が素早く「でもみんなワクチン打ったよね、モデルナで」とフォロー。他大学の関係者も一緒に受けられた由。

授業をやる方は何が変わったか訊くと、準備なしでは講義ができない(それは当然)、学生の顔が見えないのでジョークも脱線もできない以外は、あまり変わらないとのこと。画像使用が増えたかと思いましたが、サーバーがダウンしてしまうため、パワーポイントを常用することは難しいそうです。オンラインなら海外からも参加できるから、ハイブリッド授業はコロナ後も続くだろうという話になりました。

源氏物語幻巻の苗代水

大津直子さんの論文「断絶する「苗代水」と六条院四季の町―『源氏物語』「幻」巻明石の君の和歌をめぐって―」(「文学・語学」230号 2020/12)を読みました。光源氏が造営した六条院には四季の壺が設けられ、実子のない紫上の住む春の壺が母屋格、光の血統を伝える女児を産んだ明石の上は冬の壺の主でした。本論文は、紫上を喪った光が明石の上と交わした贈答歌を取り上げ、源氏物語第2部末尾の構想を読み解くもの。

30代までは私も源氏物語研究の最前線を追いかけていましたが(小町谷照彦さんや後藤祥子さんの、和歌を通して物語を解読する手法は、軍記物語にも共通していた)、近年は偶々目につく論文を拾い読みする程度なので、専門家の眼からは的外れかもしれませんが、歌語の隠喩が、物語の書かれていない部分を暗示しているという論点には、共感を持ちました。

紫上没後、光が贈ってきた歌から彼の心境を思いやった明石の上が返した歌「雁がゐし苗代水の絶えしより映りし花の影をだに見ず」は、返歌としても歌語の使用法としてもやや特異で、中でも「苗代水」は源氏物語では唯一の例であることから、本論文はこの語に注目しました。そして、ついに実子はなかったものの明石の姫君やその御子たちを養育した紫上を称える意図が含まれていると論じました。肯ける推論です。

苗代と神事の関係から『播磨国風土記』や『住吉大社神代記』を引く必要性は、いま一つ私には分かりませんでしたが、春の壺に立坊が取り沙汰される二の宮が住み、「罪」とは関わらぬ子孫に即位の希望が見えてきて、苗代に雁が帰って来るように、農耕的豊饒の季節がすぐそこに来ている、という結びは感動的です。

すると第3部は、罪の子の物語ということになるのでしょうか。続論を待ちます。

豊後便り・名水篇

東京はまた暑さが戻ってきました。別府暮らしの友人から、涼しい写真を送る、とメールが来ました。

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小津留湧水

【九州は福岡以外は好天に恵まれています。写真は豊後竹田市のおづる湧水。水汲みに訪れる人の群れが一段落した、つかの間の無人の瞬間です。】

全国で名水を汲みに行くのが流行りました。調べてみると、小津留湧水の辺りは豆腐が有名だそうです。名水あれば豆腐、そして銘酒がある。豆腐料理も食べたのかしら。

鳥取から帰京する度に、東京ではこんなまずい水を飲んでいたのか、と思いました(東京の水道水は、世界でも高品質だと聞いたことがありますが)。しかし慣れれば感じなくなります。その東京で最もまずい水は、東大構内の水。配水管が古いからでしょうが、ペットボトルの無かった時代、図書館で一息入れて飲む水は最悪でした。

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別府湾

【左方対岸に見えるのは国東半島です。別府港からは四国の八幡浜港へ向かうフェリーがあって、白い船の航行するのも見えます。】

博多が父祖の地である私からすると、別府は湯治か遊びに行く所で定住する土地ではない、との固定観念があり、面と向かってそう言うものだから、しきりに、いい所だと言ってきます。なるほどオーシャンビューの毎日は素晴らしいでしょうね。オンラインの研究会に誘ってみましたが、孫と遊ぶ約束がある、と断られました。

昨日あたりから、朝、窓を開けると流れ込んでくる空気に、かすかに甘い香りが混じっている気がします。長雨につられて木犀が咲き始めたのでしょうか。硝子の食器と寝茣蓙をしまって、タオルケットを厚手のものに替えました。晩秋のために植えたパプリカは未だ花が咲き始めたばかり、もう少し暑さが続かないと結実が間に合いません。

後白河院時代の文化

会員ではないのですが、オンラインの仏教文学会大会を視聴しました。かれこれ20年近く仏教文学会、説話文学会、さらに中世文学会までもが殆ど同内容―仏教関係資料の話で埋め尽くされ、浮草で水面が覆われた池のように酸欠状態が続き、複数学会に所属する意味がないので、まず仏教文学会をやめ、来年は説話文学会を脱会しようと考えていたのです(年金生活には会費が重荷でもある)。しかし今日は、良質の研究成果をたっぷり聞くことができました。ようやく名実共に仏教・文学の話が聞けるようになった、と司会者(2人が学生当時からの付き合いです)の顔を見ながら思いました。

講演は山本一さん「和歌と仏法の類比―慈円と俊成―」。シンポジウム「後白河院時代の文芸と文化―唱導・和歌・美術―」は、猪瀬千尋後白河院における逆修と唱導」、中村文「後白河院近侍者たちの和歌活動」、増記隆介「後白河院時代の絵画制作と宝蔵」の3本立て。猪瀬さんは、後白河院自らが行った仏事に用いられた唱導資料を読み解き、後白河院は建春門院の遺志を継いで天王寺への信仰を強め、守屋討伐を果たした聖徳太子信仰へと傾斜していく、建久2年(1191)には死を予想した大規模な逆修を行ったが、唱導家たちは院の死に釈迦の涅槃を重ね合わせて演出していった、と論じました。中村さんは、歌謡に惑溺して和歌には疎遠だったかのように思われている後白河院の近侍者たちの中には、和歌をよくする者たちが少なからずおり、地下緇流の活動ともつながりながら無視できない勢力を形成していた、と説きました。

増記さんは、後白河院時代は①絵巻制作の盛んだった時期、②宋の美術の影響が取り込まれた時期だったと言います。正倉院時代から藤原道長を経て、唐から宋へ、壁画・屏風から掛幅・絵巻へと転換した時期でもあったと述べました。充実した半日でした。