後白河院時代の文化

会員ではないのですが、オンラインの仏教文学会大会を視聴しました。かれこれ20年近く仏教文学会、説話文学会、さらに中世文学会までもが殆ど同内容―仏教関係資料の話で埋め尽くされ、浮草で水面が覆われた池のように酸欠状態が続き、複数学会に所属する意味がないので、まず仏教文学会をやめ、来年は説話文学会を脱会しようと考えていたのです(年金生活には会費が重荷でもある)。しかし今日は、良質の研究成果をたっぷり聞くことができました。ようやく名実共に仏教・文学の話が聞けるようになった、と司会者(2人が学生当時からの付き合いです)の顔を見ながら思いました。

講演は山本一さん「和歌と仏法の類比―慈円と俊成―」。シンポジウム「後白河院時代の文芸と文化―唱導・和歌・美術―」は、猪瀬千尋後白河院における逆修と唱導」、中村文「後白河院近侍者たちの和歌活動」、増記隆介「後白河院時代の絵画制作と宝蔵」の3本立て。猪瀬さんは、後白河院自らが行った仏事に用いられた唱導資料を読み解き、後白河院は建春門院の遺志を継いで天王寺への信仰を強め、守屋討伐を果たした聖徳太子信仰へと傾斜していく、建久2年(1191)には死を予想した大規模な逆修を行ったが、唱導家たちは院の死に釈迦の涅槃を重ね合わせて演出していった、と論じました。中村さんは、歌謡に惑溺して和歌には疎遠だったかのように思われている後白河院の近侍者たちの中には、和歌をよくする者たちが少なからずおり、地下緇流の活動ともつながりながら無視できない勢力を形成していた、と説きました。

増記さんは、後白河院時代は①絵巻制作の盛んだった時期、②宋の美術の影響が取り込まれた時期だったと言います。正倉院時代から藤原道長を経て、唐から宋へ、壁画・屏風から掛幅・絵巻へと転換した時期でもあったと述べました。充実した半日でした。