浪費

千葉県知事の引き継ぎも無事済んだらしく、怪しげな「政見」放送は、とりあえずは過去の笑い話になったようです。しかしあれを視た時に、おふざけが過ぎる、と思った人は少なくなかったのではないでしょうか。職務とはいえ、「公職選挙法によって」候補者の映像と音声をそのまま、定められた様式で撮影し、電波に乗せる作業を強いられた放送局職員に、いささか同情しました。

中部地方の県知事リコールの偽署名を、九州で大量生産した事件。金銭的裏付けはどこから出たのでしょう。クラウドファンディングによる資金は、こういうことに使われると知った上で寄付されたのか。あるいは美容整形医の個人資産だったのか。そもそも公開討論でなくリコールという手段に訴えるには、飛躍がありすぎました。

最近、制度的には適法かもしれないが、ほんとにそれでいいの?という政治的行動が目につきます。府を都にしたいとて短期間に住民投票を繰り返したり、知事と市長が入れ替わるためだけの選挙を実施したり・・・できるからと言ってやっていいものではないことが、この世にはあるのではないでしょうか。民主主義を浪費、否、愚弄するなと言いたい。日本国憲法も言っている通り、国民主権は不断の努力で守られるのです。

ミャンマー報道を見聞きする度に、私たちの無力を感じます。中国との板挟みになりながら日本政府に出来ることは、必ずしも彼国の民衆の期待には応えられていない。3月27日に12カ国の軍のトップたちが出した声明ー国軍は国民を守るためにあるのだ、という抗議声明に日本の統合幕僚長も名を連ねたことを知り、少しではあるがほっとしました(日本に「国軍」はあるのか、という議論はさて措き)。後は民衆レベルで何ができるか、です。民主主義の貴重さを改めて噛みしめ、支援の方法を考えたいと思います。

虫の日本文学史

植木朝子さんの『虫たちの日本中世史ー『梁塵秘抄』からの風景ー』(ミネルヴァ書房)を読みました。植木さんは多作な人です。これまでにも歌謡を中心とした楽しい本を、何冊も出してきました。本書は340頁弱、版元の宣伝誌に、2016~20年の3年半連載したエッセイをもとにしたそうです。書名を見て、やや気楽に読み始めたのですが、これはちょっと違った、と座り直しました。

まず植木さんの視野に入っている文学と人との関わりの幅が、広い。漢籍から現代詩まで、時代と地域とジャンルを超えて読んでいるし、その中から自分の研究の手許に入ってくる事柄に、窮屈な枷がない。なるほど歌謡を扱うと、こんなに自由な発想と浩瀚な知識が必要なのか、と納得しました。他分野の研究論文にもひろく目を通していることが分かり、文化の新旧へのこだわりのなさにも、教育者としての姿勢が窺われます。

本書は、序・虫に対する嫌悪と愛着 1中世芸能に舞う虫ー蟷螂・蝸牛 2中世の信仰と刺す虫ー蜂・虱・百足・蚊 3中国文芸と鳴く虫・跳ねる虫ー機織虫・蟋蟀・稲子麿 4王朝物語から軍記物語へ飛び交う虫ー蝶・蛍 5中世の子ども・武将・芸能者たちと遊ぶ虫ー蜻蛉 6中世の意匠と巣を編む虫ー蜘蛛 7中世人が聞いた秋に鳴く虫ー松虫・鈴虫・轡虫 終・豊かなミクロコスモス という構成になっており、文章は分かりやすく、さくさくと読み進めることができます。楽しみのための読書にもお奨めですが、時折立ち止まって考えたくなる問題もあります。私には1,5,6章が特に面白かった。

武具や武士の身の回り品に蜻蛉の意匠が好まれたのは何故だろう、と私も考えてみました。身軽さや食いつかれた時の強さもあるでしょうが、やはり、記紀雄略天皇の逸話から始まる、帝王の身を護る者というイメージが根本ではないでしょうか。

桜づくし・信濃便り篇

今年は伝通院の枝垂桜は観に行かれませんでした。枝垂桜には染井吉野よりも前に咲くものと、遅れて咲くものがあるようです。長野の友人からは早咲きの枝垂桜の写真が来ていました。一重・八重、色にも種類があるらしい。

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象山神社の枝垂桜

赤門脇にある八重桜は2日には満開になり、例年よりも多くの花をつけて天蓋のようでしたが、コロナのため門が閉められ、入れません。塀の外から、通りの向かい側から、何度も眺めました。私が在学中からありましたから(当時は2本あった)、半世紀は生きてきた樹です。ふと、切なくなりました。あの樹の傍にも行けないなんて・・・扇屋へ入り、女将と、今年はいつもより沢山咲いてるね、でも色が少し薄いようですよね、と会話をしました。桜饅頭と道明寺を買って帰り、仏壇に上げた後、一気に食べました。塩味が効いていて、美味しい。何だかやけ食いのようでもありました。

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松代城跡の夜桜

昨日、友人からは松代城の夜桜見物に行ってきたとのメールに、幻想的な写真が添付されていました。夜になって、BS-TVで里見浩太朗が案内する京都の夜桜中継を視ながら、これはどうしても日本酒、という気になり、庭先の山椒の芽を摘んで叩き梅を作りました。辰砂の濃い、上神焼(倉吉産の陶器)の盃に盛り、上善如水(越後の酒です)を冷やで呑みながら、平野神社の八重桜を観賞しました。梅干1つで晩酌したのは山田風太郎ですが、なるほど1合は十分呑めます。中継が終わったら、呑み過ごしていました。今右衛門の小さな盃を選んだのに、梅干しの塩が利きすぎていたせいです。

第63巻第14号

1日に「週刊文春」4月8日号を買いました。発売日の午後でしたが、残りは2冊。エグい内容がウリのオジサン向け週刊誌とは思えない、ライトブルー地に春色のチューリップの花束、という表紙です。友人も「ワクチン敗戦」記事を読むために買ったという。私は別の記事が目的でしたが、「ワクチン敗戦」も「五輪開会式口利きリスト」も早速読みました。どちらも、やっぱり!という感じで、べつに意外感はありませんでした。

ワクチン輸入を予約した際に、日本政府は期限と数量とを併せた契約をしなかったこと、注射する人手の確保が問題なこと、3月30日現在医療従事者の17.6%しか接種できておらず、完了するのは6月だろうということ。五輪開会式には赤いバイクが会場を駆け抜け、笑顔のいい、極彩色のあの女性タレントがready?と声を掛け、大相撲横綱や新成田屋や江戸火消しのアトラクションが続くことー意外だったのは翌日です。

東京五輪組織委が、本誌の販売中止と回収を要求したとのニュース。聖火リレーは大音響街宣車の先導で、100m程度をとろとろ「走る真似」をする、というイベントだったとの投稿。五輪開会式の内容は機密事項だって?会議の配付資料に通し番号を打ち、「部外秘」の印を捺しましたか?私たちはべつにマル秘でなくても構わない、それよりも舞台裏で不祥事が繰り返されていないかどうかを知る方が大事。もう買っちゃったよ、読んじゃったよ。今さら販売中止・回収を要求するのは懲罰もしくは恫喝の意味しかない。血税を大量に、しかも際限なく注ぎ込む行事の公正さと透明性を要求する権利は、我々にある。

小学生の時、神奈川国体の大会旗リレーを出迎えに連れて行かれました。中学の時、アジア大会の開催に湧き、記録映画を観に行きました。戦後の日本がやっと起ち上がってきた、という実感があり、その頂点が東京五輪でした。今現在の日本は?はき違えるな。

源平の人々に出会う旅 第51回「京都・灌頂巻」

 『平家物語』の諸本は、読み本系と語り本系に分類できますが、語り本系はさらに「灌頂巻」の有無によって一方系と八坂系に分類されます。一方系には巻12の後に、建礼門院徳子の後日談をまとめた「灌頂巻」があります。

【長楽寺】
 壇の浦合戦後、建礼門院は京都の吉田に移り、文治元年(1185)5月1日に出家します。覚一本『平家物語』は、戒師を長楽寺の阿証房印西とし(史実は大原の本成房)、お布施として受け取った安徳天皇の直衣を幡に仕立て直して長楽寺の仏前にかけたとします。長楽寺には、この時のものと伝わる幡が保管され、境内には髪を埋めたとされる建礼門院御髪塔や、平安の滝(八功徳水)、頼山陽の墓などがあります。

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寂光院
 都の喧噪を煩わしく思った建礼門院は、大原の寂光院に移り住みます。『平家物語』では、後白河法皇がお忍びで御幸したことが記され、対面した建礼門院は、自身の波乱の人生を六道になぞらえて語ります。『建礼門院右京大夫集』によると、かつて建礼門院に仕えていた右京大夫も、寂光院を訪ねています。

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建礼門院大原西陵】
 建礼門院の最期については諸説ありますが、覚一本は建久2年(1191)2月中旬としています。寂光院の脇には建礼門院大原西陵があります。最後まで仕えていた大納言典侍(重衡の妻)と阿波内侍(藤原信西の娘とも)の墓とされる石塔群も、すぐ近くに存在しています。

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〈交通〉
長楽寺…京阪電車祇園四条駅寂光院…京都駅から大原方面行バス
                          (伊藤悦子)

嵯峨本前史

小秋元段さんの「嵯峨本とその前史の一相貌」(法政大学文学部紀要82号 2020/9)を読みました。近世初期に、嵯峨で角倉素庵が関わって開版された、美装本の古活字版があり、嵯峨本もしくは光悦本と呼ばれています(実際には光悦は関与していなかったらしい)。小秋元さんは、嵯峨本の大半は慶長10年代前半に刊行されたようだが、10行本『方丈記』や下村本『平家物語』なども、嵯峨本前史に属すると言っています。

嵯峨本『徒然草』第1種第2種、嵯峨本『方丈記』、10行本『方丈記』、下村本『平家物語』、『観世流謡本』においては、文節が行を跨がないように工夫され、漢字や仮名の当て方によって1行の文字数を調整していると、小秋元さんは指摘しました。また漢字平仮名交じりの古活字版は、しばしば連綿体の仮名を2,3字まとめて彫ることがあり、そうすると本来の字数分だけ必要な空間を、伸縮させることができます。小秋元さんは、嵯峨本前史に属する3書が、さらにこの活字を使って行替えで文節を跨がない方針を一貫させており、これはキリシタン版の後期国字本を参考にした手法であろうと推測、しかし後の嵯峨本にはこの方法は継承されなかった、と結んでいます。

写本の行替えには、しばしば意味内容がつよく意識されていることは、書誌調査をするとすぐ判ります。初期の古活字版が、写本的な意識を承け継いで制作されていることは、これまでも指摘されてきました。本論文を読んで、古活字版の1行文字数や活字の大きさが一定でない理由の一つが、納得できました。

近年、刊本の研究が進んで、古活字版の作られ方にも光が当てられ、興味深い事実がいろいろ明らかになってきました。『平家物語』を研究していると、版本には無関心になりがちですが、そうも言っていられないなあと痛感した次第です。

連翹

長野の友人から、空家の塀から身を乗り出すように連翹が咲いていました、とメールが来ました。連翹は枝が見えなくなるほど密集して花をつけるので、目立ちます。

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連翹

いかにも漢方薬として中国から渡来した植物らしい名前ですが、子供の頃聴いたラジオドラマに、美少年の遺骸をこの花で埋める悲劇があって、希臘にもあるのかなあとずっと不審に思っていました(ストーリーは全く覚えていないので、何故希臘を連想したのかは不明)。調べてみると、欧州にもあるのですね。さらにこの花は、高村光太郎が愛し、4月2日の彼の命日を連翹忌ということも知りました。花巻に、戦後彼が暮らした家が保存されていて、訪ねたことがあります。縁側のある、つましい家でした。彼の詩には人を励ます力があり、戦時中の戦争協力を恥じて、蟄居したのです。

42年前の春、私は前任校の卒業式に祝電を打ちました。当時、定時制職業高校は定員割れしていて、その年の卒業生は男子1人だけ。せめて賑やかに、という気持ちと最後まで見てやれなくてごめんね、という気持ちでした。電話口で電文の1行目を読み上げた時、局員がエッ、と固まるのが分かりましたが、構わず読み続け、発送しました。

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

ご卒業おめでとう。