源平の人々に出会う旅 第51回「京都・灌頂巻」

 『平家物語』の諸本は、読み本系と語り本系に分類できますが、語り本系はさらに「灌頂巻」の有無によって一方系と八坂系に分類されます。一方系には巻12の後に、建礼門院徳子の後日談をまとめた「灌頂巻」があります。

【長楽寺】
 壇の浦合戦後、建礼門院は京都の吉田に移り、文治元年(1185)5月1日に出家します。覚一本『平家物語』は、戒師を長楽寺の阿証房印西とし(史実は大原の本成房)、お布施として受け取った安徳天皇の直衣を幡に仕立て直して長楽寺の仏前にかけたとします。長楽寺には、この時のものと伝わる幡が保管され、境内には髪を埋めたとされる建礼門院御髪塔や、平安の滝(八功徳水)、頼山陽の墓などがあります。

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寂光院
 都の喧噪を煩わしく思った建礼門院は、大原の寂光院に移り住みます。『平家物語』では、後白河法皇がお忍びで御幸したことが記され、対面した建礼門院は、自身の波乱の人生を六道になぞらえて語ります。『建礼門院右京大夫集』によると、かつて建礼門院に仕えていた右京大夫も、寂光院を訪ねています。

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建礼門院大原西陵】
 建礼門院の最期については諸説ありますが、覚一本は建久2年(1191)2月中旬としています。寂光院の脇には建礼門院大原西陵があります。最後まで仕えていた大納言典侍(重衡の妻)と阿波内侍(藤原信西の娘とも)の墓とされる石塔群も、すぐ近くに存在しています。

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〈交通〉
長楽寺…京阪電車祇園四条駅寂光院…京都駅から大原方面行バス
                          (伊藤悦子)