浪費

千葉県知事の引き継ぎも無事済んだらしく、怪しげな「政見」放送は、とりあえずは過去の笑い話になったようです。しかしあれを視た時に、おふざけが過ぎる、と思った人は少なくなかったのではないでしょうか。職務とはいえ、「公職選挙法によって」候補者の映像と音声をそのまま、定められた様式で撮影し、電波に乗せる作業を強いられた放送局職員に、いささか同情しました。

中部地方の県知事リコールの偽署名を、九州で大量生産した事件。金銭的裏付けはどこから出たのでしょう。クラウドファンディングによる資金は、こういうことに使われると知った上で寄付されたのか。あるいは美容整形医の個人資産だったのか。そもそも公開討論でなくリコールという手段に訴えるには、飛躍がありすぎました。

最近、制度的には適法かもしれないが、ほんとにそれでいいの?という政治的行動が目につきます。府を都にしたいとて短期間に住民投票を繰り返したり、知事と市長が入れ替わるためだけの選挙を実施したり・・・できるからと言ってやっていいものではないことが、この世にはあるのではないでしょうか。民主主義を浪費、否、愚弄するなと言いたい。日本国憲法も言っている通り、国民主権は不断の努力で守られるのです。

ミャンマー報道を見聞きする度に、私たちの無力を感じます。中国との板挟みになりながら日本政府に出来ることは、必ずしも彼国の民衆の期待には応えられていない。3月27日に12カ国の軍のトップたちが出した声明ー国軍は国民を守るためにあるのだ、という抗議声明に日本の統合幕僚長も名を連ねたことを知り、少しではあるがほっとしました(日本に「国軍」はあるのか、という議論はさて措き)。後は民衆レベルで何ができるか、です。民主主義の貴重さを改めて噛みしめ、支援の方法を考えたいと思います。