YouTubeで聴く賴山陽

最終講義の季節になり、コロナのため昨年延期になった講義も、学内向けに行われた後、YouTubeに載せる大学があるようです。しかし90分は、この媒体には長すぎる。私は公式サイトに掲載された要約を読むことにしました。

一方、延期されていた宮中講書始のノーカット版が、YouTubeで公開されました。何故かアナウンサーが詳しく椅子の説明をしているのですが、臨場感で場つなぎをしようとしたらしい。コロナ下、皇室との触れ合いを無理に作るより、こういう文化的特典を公開してくれる方が有益で、有効でもあると感じます。

揖斐高さんの「「勢」と「機」の歴史哲学ー『日本外史』の方法ー」を聴きました。揖斐さんは3歳年下ですが、大学院をほぼ同時に出ました。緊張しながらも挿話を交え、もっと聴きたいなあと思わせて、まとめていました。従来『日本外史』は立場の鮮明な歴史書、賴山陽は思想家だと思い込んでいたのですが、揖斐さんは文豪だと言います。

学部で、中国文学講読を頼惟勤先生に習いました。賴山陽の子孫なんだって、と聞かされましたが、当時はあまりに遠い歴史上の名前と目前の温顔の教授とが、どうしても結びつきませんでした。学年末試験の時、一通りの問題を前に、白楽天の「売炭翁」を全文暗誦して書くことができたらそれだけで単位を出す、と言われたこと(勿論、私は通常の問題に取り組みました)が、今でも記憶に残っています。

「機」は、『太平記』が大事な局面でしばしば使う語で、軍記物語研究者の間でも論じられています。元来、中国思想から来たものでしょうが、武家を中心とする通史を書こうとしたら、この概念が必要不可欠なのかもしれません。源平盛衰記の時代が改めて思い合わせられました。

桜づくし・古都篇

調査を了えて奈良の自宅へ帰った高木浩明さんから、写真が送られてきました。

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佐保川の桜

県立図書情報館の前の土手だそうです。奈良の並木は八重桜かと思っていました(「いにしへの奈良の都の八重桜・・」の歌がある)が、染井吉野もあるのですね。

山城在住の錦織勤さんに、京都の桜はどうかと問い合わせたところ、平日に醍醐寺へ行ったら人出が多く、霊宝館の特別展は諦めて帰ってきた、毎日の移動の際にあちこちの桜を眺めている、とのことでした。古都の桜はまた格別でしょう。

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醍醐寺2018

撮影者は川越の友人です。2018年3月25日に撮ったらしい。彼は京都にもコンドミニアムを持っていて、例年、家族で古都の春を満喫するとのこと。

醍醐寺は、故千明守さんの科研費による共同調査で京都へ行った際(2008年だったか)に寄りました。府立総合資料館の屋代本平家物語と、京都大学に委託されている近衛本源平盛衰記の調査です。季節が未だ早かった(科研費の執行締め切りは3月上旬だった)ため、桜の時の醍醐寺はどんなにいいだろう、と言い合いながら歩きました。

源平盛衰記の写本の殆どは版本の写しですが、それ以前の姿を残す写本で全冊揃っているのは名古屋の蓬左文庫本と、この近衛本だけです。どちらも平仮名書きが多く、誰が何のために作らせたのかと考えると、謎が多い。近衛本は恐らく慶長古活字版の頃の本文をもとに、整版本以降の振仮名を参照したかと思われるのですが、寄合書きながら大型本で、制作過程、近衛家への伝来の経緯などが知られれば、興味ある事実が判ってくると思われます。しかしこのコロナ下ー嗚呼、京都は遠い。

桜づくし・嵐の翌朝篇

一晩吹き荒れた雨の名残が、未だ窓硝子に残っていました。高級マンションと錯覚させるCMを流している会社の建築ですが、我が家のベランダは、激しい雨の後階上から漏る。もう十数年、修理を要求しているのに直りません。今朝もぼた、ぼた・・・慌てて柔軟体操、血圧測定、入浴を済ませて階上へ。もう両家とも苦笑いする仲です。

マスクをしたついでに近所の長泉寺へ、桜の様子を観に行きました。戦前からあったという山桜は、区が樹木医を派遣したものの瀕死に近い。染井吉野と八重桜は未だ爛漫に咲き誇っていました。息をするかのように、ときどき染井吉野が散ります。寺の若奥さんが出てきたので挨拶すると、山桜の若木を3本植えたそうです。まずは安心して帰りました。

メールを開けたら、辻英子さんから、【わが家は右手に世田谷新町から日体大まで続く呑川の桜並木が満開(富士山も見えます)、左手に駒沢大学・公園の桜を眺め楽しんでおります。】という通信が来ていました。細菌性肺炎のため発熱し、コロナでないことを確かめて入院許可が出るまで半月かかり、【コロナ禍による他の病気治療の遅延の実体験でもありました】とのことでした。今は何よりもこれが恐い。

徳島の原水さんからも、写真添付のメールが来ていました。

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八百万神之御殿2018

【中部脇町にある、宗教団体が管理運営している名所です。車幅ギリギリの舗装していない崖道を登っていくのですが、「花の下にて春死」ぬのも一興と思い、毎年出かけていました。しかし、2018年を最後に断念しました。愛犬のさくらがやってきてから、少し命が惜しくなったからです。(原水民樹)】

徳島でも有名な花の名所だそうで、季節には入場料を取って開放するらしい。ペットと過ごす時間が西行気取りに勝つところが、原水さんの優しさです。

在外日本学関係資料

辻英子編著『在外日本学関係資料の調査研究ー研究編・影印編』(汲古書院)という本が出ました。1000頁近い大冊です。「研究編」はⅠイギリス Ⅱオーストリア Ⅲドイツ Ⅳスペイン Ⅴチェコ Ⅵロシア Ⅶ日本 の7部構成になっていて、14人・25点の論考が収載されています。中でも日本文学に関するスペインとロシアの日本学研究事情の報告は、これまでなかったそうで、貴重な試みです。影印編にはチェコの長谷川雪旦模写「円山応挙筆の七難七福図巻」(個人蔵。中巻のみ現存)、ロシアのエルミタージュ美術館蔵『放屁合戦図巻』、日本の聖徳大学蔵『ちやうりやう』絵巻・『鉢木』絵巻の影印と解説が収められています。

辻さんは1980年代半ば以来、アメリカを始め在外日本の絵巻・絵物語の収集と研究を、使命感を以て続けてきました。そして海外の日本学研究者たちとの交流、その成果を発信することの必要性を感じ、すでに何冊もの論集や影印を出し、2014年には日本学賞を受賞、本書はその副賞によって出されたとのこと、私よりも7歳も年長なのですが、そのタフネスには感服するのみです。本書の企画・編集に当たっても、研究者との連絡・調整はもとより、翻訳もなさったようで、まさしく国際人としての活躍ぶり。

私が最も興味を惹かれたのは、石川透さんが「浅井了意筆『咸陽宮』絵巻について」と題して、さまざまな説話を集めて作られた『咸陽宮』、『楊貴妃物語』、『大黒舞』、『蓬莱山』、『武家繁昌』等は、浅井了意が本文を作って清書した作品ではないか、という仮説を出したことでした。するとこれらの絵巻は、仮名草子の一種ということになります。

ロシアの日本説話研究の概要(ディアナ・キクナゼ)やシモノフの日本陶器蒐集(エカテリーナ・シモノヴァ・グシェンコ)についても興味深く読みました。

桜づくし

昨晩、高木浩明さんからメールが来ていました。

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千鳥ヶ淵

【コロナに振り回されぱなしというわけにも行かず、活動を再開しました。今日、宿を出て半蔵門の前を歩いていたら、歌会始に臨席される天皇皇后両陛下の車列に遭遇しました。何か良いことがありそうな気分になりました。

桜は満開、コロナはなかなか終息してくれませんが、新しい春はきちんと来るのですね。千鳥ヶ淵の桜、宿から近いので朝の散歩に出て撮りました。東京にお住まいでも、恐らく御覧になれないだろうと思い、お送りします。(高木浩明)】

我が家の上空をヘリが飛び交う日は、都心で何かある日なのですが、昨日は歌会始だったのですね。東京にいると却って、この季節には千鳥ヶ淵へ行かれません。下手すると地下鉄から出られないほどの混雑になる。活動再開、という語に励まされました。私も水鳥の水掻き程度に仕事をしてはいるものの、どうにも意気の揚がらない日々だからです。

先週、メールボックスが満杯になっているのを発見、スパムかと恐る恐る開けたら、川越の友人からでした。ここ数年、大学院の同窓同士で花見に出かけていたのですが、コロナで駄目になり、過去のコレクションから選んだ桜の写真を送って来たようです。むやみにいいカメラを使っているので、私の小さなPCでは一度に受信できなかったらしい。

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別府の桜

そして今朝は、温泉町からの1枚。

【おはようございます。近所を散歩してきました。桜から透けて見える別府最大のホテル杉の井ホテルを写してみました。こちらも満開を迎えたところです。】

九州出身者にとっては別府は遊びに行く所、暮らす所ではない、という先入観が強いのですが、老後に家族に囲まれて、桜を楽しむには最適の土地かもしれません。

花不同

午後1でバスに乗りました。乗客の中年女性達は、バスの窓を開閉するにも手を袖で包み、吊り革を握った手はアルコール消毒しています。窓から見える播磨坂、母校の旧同窓会館、跡見女子大、桜は満開でした。窪町小学校が植えた若木も、それなりに爛漫。

終点で降り、南大塚の坂をゆっくり登りながら、花のトンネルを潜りました。もう老木なので(ケネディ暗殺の年にこの並木ができた)、あちこち大きく剪定されて曲がりくねった幹や根元からも花が咲き、不思議な光景です。杖を突いた老人やスマホを構えた若い人たちが往き来し、ビジネスマンも立ち止まってスマホ撮影。なるほど花の向こうにカラフルな車体の都電荒川線が通るのは、いかにも「映え」そう。今日あたり、日本中のSNSには桜花の映像が満載でしょうね。

例年、友人と居酒屋に入る時間帯を見計らって来ていたので、こんな真昼間に見ることは珍しい。学生時代、2年ばかりこの辺のアパートにいたのに、もうどこだか分からなくなりました。小さな時計屋だけは見覚えがありますが、勿論、代替わりしているでしょう。

スーパーで野菜を、花屋でロベリアの苗を買いました。最後に駅ビル内の惣菜屋で、健康に悪い物(つまり季節の酒肴)ばかり買いました。ビーフシチュー、フライドポテト、鶏肝の時雨煮、茄子の揚げ浸し、セロリと大根のサラダ、蚕豆。駅の広場にも、新しく植えられた桜が満開です。大木になるまで、見届けられるかしら。

帰宅してベランダに出たら、階下から吹き上げられた桜の花びらが点々と落ちています。拾ってきた花はもみくちゃになっていましたが、水を張った皿に浮かべました。料理に合わせて、いつもと違う皿小鉢を出しました。瞼の裏に焼き付けた繚乱の花を思い出しながら、今夜は仏壇とサシで呑むことにしましょうー桜も徐々に、代替わりしたよ、と。

川越便り・片栗篇

川越の友人からは、次々に咲き出した山野草の写真が送られてきました。

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片栗の花

最初に咲いた1輪は、早くも虫に食われたとのこと。横浜の青葉台に住んでいた頃、スーパーの野菜売り場に片栗の束が出たことがありました。萎れてはいるが花も葉も一緒です。試しに買って、酢味噌和えで食しました。茹でるとほんのちょっとになってしまいます。少し元気のある花を2,3本抜いてコップに挿してみましたが、却って哀れなので、スープの浮実にしました。

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韓国原産黄花節分草

【黄花節分草は韓国原産、日本産の節分草とは違う植物で、全然違う印象ですね。】

蘭の仲間でしょうか、単子葉です。私は初めて見ました。

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ショウジョウバカマ

名古屋で1DKのアパートに住んでいた頃、近くに桃巌寺という寺があり、大仏の背中が窓から見えました。花柳界や芸能にゆかりのある寺だそうで、手水鉢には花が浮かべてあったり、敷石の間に紅色の猩々袴が咲いていたりしました。かつては平曲演奏も行われていたことを、後になって知りました。

川越の友人は山野草が趣味で、珍しい苗を買い集めては植え込んでいるらしい。私は高山植物山野草の区別もつかなかったのですが、彼の自慢につきあっているうちに知識が増えました。我が家は、挿し木や実生で育てたものばかりなのが自慢。近所に抜いて捨ててあった紫蘭を拾ってきて植え、10年ちかく経っても大きな葉が出るだけ。雌雄異株なのかなあと調べたり、もう捨てようかと思ったりしていたら、今年は蕾が出ました!こういう時が嬉しいのです。去年路傍で種子を採取した花華鬘の芽も出ました。今は実生の石榴の赫い芽が美しい。友人が石榴なんかどこの家にもあるよ、と言ったので、山野草なんて買って来たもんでしょ、うちは種子1粒から育てたんだから、と喧嘩になりました。