サライ

一昨日、日本テレビでドラマ「無言館」を視ました。毎夏恒例の「24時間TV」の一部です。無言館は戦没画学生の記念美術館で、個人が一念発起して始めたことで有名。極度に深刻にはならず、しかし訴えてくる場面の多い脚本でした。寺尾聡がいい味、檀ふみは老女役が似合うようになり、しかも生涯、華を抱いて生きてきた感じがよく出ていました。

古くなった油絵具の映像を見ながら、他人事と思えなかったのは、亡父の遺した作品をどう処分したらいいか、ずっと悩んでいるからです。油絵やスケッチ等々、かなりの分量があり、殊に戦地で描いた作品群は資料的価値もあるのではないかと思うのですが、どうしたらいいか分かりません。しかし生きて帰って来た者の作品は、戦没者の関係者から見れば腹が立つだけでしょうね。

番組に集まった寄付金額¥3億1800万強、という報告に吃驚しました。感激を強要する、という批判もある企画ですが、実績は挙がっている。

今年の24時間ランナーは元気一杯な若手芸人。大河ドラマが終わってチャンネルを回したら、もうゴールした後で、例年、スタジオで半べそをかきながら歌う「サライ」は、余裕を以て歌われていました。今年は作曲者が引退を宣言したのだそうで、彼のことは以前、本ブログに書きました(若大将)が、私も感無量です。「サライ」はいい曲、殊に「迷いながら いつか帰る」というリフレインが好きです。故郷を捨てて単身、新生活へ踏み出していく若者は、高度成長期の社会現象でもありました。この日の大河ドラマは血まみれで、そのすぐ後に続く安心の「サライ」大合唱は、何だか目まいがしそうでした。

サライとは、ペルシャ語で宿、家という意味だそうです(どうしてペルシャ語なのかな)。ふと、今この歌詞を最も切実に聞くのは福島の人かもしれない、と思いました。