マンスプレイニング

名称があることが分かって初めて、その情況や現象の存在を具体的に把握できる、ということがあるものです。マンスプレイニングという言葉があるのを知って、あああれだ、世間でも認識されているんだ、と苦笑しました。manとexplainingとを組み合わせてネット上で生まれた言葉だそうで、説明したがる、説教したがる男の特性、といった意味らしい。思い当たります、山ほど。

最も古い記憶は学生時代、英会話の学校で、芥川龍之介が聖書を引用した作品の話が出て、「足らはず」という語句を「足らず」だと言い張る若い男性がいたので、私が文語文法(自動詞+継続の助動詞+打ち消しの助動詞)を説明してやったのですが、授業終了後も歩きながらずっと、間違ってると言い続けていたこと。当時は私も若く、オトコは立ててやらねばいけない、という世相だったので、それきりになりました。

その次に強烈な記憶は、名古屋で女子大に勤めた時、会社員から採用された若い教員がいて、会議で何か私が発言すると必ず、おっかぶせるように説明(実質、たしなめ)をするのです。私が厭な顔をしていても滔々と続ける。ある時教育学の助教授が、そっと「嫌がってる」と注意して、止みました。名古屋では、給料振込銀行に定期解約の予約をした時、電話に出たオジサン行員が、幼児に言うような言葉遣いをしたこともありました。

最後の職場でも山ほどありましたが、馬鹿馬鹿しいのは、いま住んでいるマンションの管理組合です。息子ほどの年格好のオジサンが、会議の席で私に向かって、○○さんねエ、という呼びかけをした上で自説を述べるのです。部下か、よほど親しい年少者に向かって使う呼びかけでしょう。議論の相手ではない。どうもある種のオトコたちは、女を前にすると殆ど条件反射的に、上から目線で口を利く生理らしいのです。