恐いを知って

昨日は沖縄慰霊の日。今年は梅雨が明け、広島出身の総理も参列して県主催の追悼式が行われました。総理を見つめる県知事の眼光は、(前知事もそうでしたが)鋭い鏃のようで、さもありなんと思いました。摩文仁の丘の平和の礎の映像も流れ、刻まれた親族の名を指でなぞる人々の仕草に、胸が迫りました。異境に出かけて行ったわけではない、地元、狭い島の中で亡くなったのに遺骸さえ見つからず、この仕草だけが可能な弔いなのだという事実。

式典では毎年、公募された小中学生の詩が読み上げられますが、今年は小学2年生の女の子。詩は「こわいをしって、へいわがわかった」という題で、丸木夫妻の「沖縄戦の図」を家族と共に観に行き、恐くて悲しい体験をして、平和とは何かを考えたという内容です。未だよく口が回らないようなあどけなさで、しかし私は(例年そうなのですが)、座り直してTV画面を視ました。

第1に感心したのは、これは詩だ、しかも音読に向く詩になっている、ということでした。プロパガンダではない、詩です。まず各行の文末表現が選び抜かれていると思いました。「だった」「あった」という言い切り、「な」「よ」「かな」等の終助詞、疑問文、1箇所に限定された願望の助動詞、最後は言い切りで結ばれる。余計な語がない。

第2に感心したのは、幼いながらに「平和とは何か」を、自分の肌感覚で掴もうとしていること。それは毎年「平和の詩」を読む沖縄の子供たちに共通しています。ともすれば平和教育がマンネリになって生徒たちから敬遠される話を聞きますが、沖縄では、島の土も海も空も、次世代に、自ら平和を考えろと教えているのだと思いました。そして自分自身で発見した理念こそが、最後まで守るに値する。そうではありませんか。