弟の命日が近いので花を買いました。週末だけ開く花屋があるので寄ってみると、芍薬はあるが白はないと言う。弟の棺は白いダリヤ、カーネーション、そして白い芍薬で埋め尽くしました。花好きの彼の家の庭には、クレマチスや紫蘭が咲いていた季節でした。
弟は18歳で潰瘍性大腸炎(当時、殆ど弊国初の症例でした。学会発表の対象にもなり、その頃の潰瘍性大腸炎の解説を見ると、彼の個性だと思われることが潰瘍性大腸炎の特色のように書いてあることがあります)を発症し、58歳で亡くなりました。未だ治療法が殆ど分かっておらず、外科的手術を繰り返し、大学も中退し、生涯職には就きませんでした。長男ですから家の紋付を被せて送り出しましたが、重荷だったかも知れません。
それゆえクレマチスか芍薬の白い花を買いたかったのですが、やむなく白と薄黄の薔薇を買いました。赤とピンクを差し色に11本(花屋が売れ残りのレースフラワーを付け加えたので、てっきりサービスだと思ったら、ちゃっかり勘定に入っていました)。卓上に活けたらどんどん開いて賑やかになっていきます。彼は遠く離れた街の救急病院で亡くなったので、何もしてやれなかったことが心に重い。あの年、我が家の植木鉢のピンクの撫子が何故か純白に咲き、白と紫のビオラが鉢に溢れそうに咲いたのが、彼からのメッセージのような気がしています。
夜、会議があって遅くなった夕食を摂っていたら、BSフジの歌番で、赤い鳥が「翼をください」を歌い始めました。思わず大声で、歌いました。父のイメソンは「コンドルは翔んで行く」、長男だった弟には「翼をください」、と私が勝手に決めているのです。
♪この大空へ 翼をひろげ 飛んでいきたいよ 悲しみのない 自由な空へ
翼はためかせ 行きたい