回想的長門本平家物語研究史(9)

長門本平家物語の所在をとにかくこの目で確かめよう、翻刻経緯不明の国書刊行会本で読んでいてもいいのか、という思いで調査を続け、平曲譜本や奈良絵本を除き、概ね「長門本」の本文には大きな相違がないこと、しかし旧国宝本段階ですでに脱落や様式の不統一があり、それ以前に遡れる伝本は見つからないことが判ってきました。真名本の伝本も複数あり、一部抜き書き的な書写をしている本(本居文庫本)もありました。

ろくに書誌学の素養がないまま我武者羅に記録してきたので、そのまま学界に提出できる成果とは思いませんでしたが、伝本全体を実際に見渡した報告は待っていても出て来ないので、拙著『平家物語論究』(明治書院 1985)に項目化した情報を載せました。誰かが追跡調査をするにしても、基となるデータが必要だと思ったからです(しかしその後、誰も全面的な追跡、修訂作業はしてくれませんでした)。

国書総目録』にない所在情報を教えて下さる方もあり、書誌の蓄積は増え続けました。補訂が必要でしょう(半世紀も経ち、所在が変わった場合もあるはず)。今思えば、素人が急いで写したような(つまり善本ではないと見られる)本にも、書き込みがあったり、伝来に関する手がかりがあったり、重要な伝本はあったと思います。仮に「公的写本」「私的写本」と分けてみましたが(『軍記物語原論』笠間書院 2008 初出2006/2)、その中間(プロの書写だが装幀などは自由)の本もかなりあるようです。

調査の思い出は尽きません。村上光徳さんと一緒に、赤間神宮の一室で数日、雅楽の稽古を聞きながら写本を撮影したこともありました(赤間神宮では毎年、宮内庁から雅楽の手ほどきを受ける)。村上さんは丹念に聞き込みを重ねるのが得意で、名古屋のあたりに民間で転写されたヒントがある、との見込みを言ったまま、亡くなりました。