年賀欠礼

喪中欠礼葉書が舞い込む季節。ただ「喪中につき」とだけあって、誰が亡くなったのか判らない葉書には、ちょっと困ることがあります。公的なおつきあいならまだしも私的なおつきあいの場合、問い合わせるわけにも行かず、お悔やみをどう伝えたらいいのか、供花だけでも届けた方がよかったかしら、と気を揉むはめになります。

若い頃は地味なクリスマスカードを探しておいて、お悔やみの言葉を書いて送りました。他宗を嫌う宗派の方には仏像の写真の絵葉書を送ったりもしました。高齢になってからは、お連れ合いが亡くなった知らせで初めて、事情があったことを知ったりして、慰める言も見つからないことがあります。やっと安定した職を得て呼び寄せた親御さんが亡くなり、「さすがにこたえました」との端書きがあった時は、やはり何と言ってあげたらいいのか、年甲斐もなくすくんでしまいました。

高齢になったから来年から欠礼する、という挨拶を見つけると、尤もだとは思うものの一瞬寂しさが胸をかすめます。かつて西尾光一先生は、60歳で賀状欠礼を宣言されました。私はこちらが出すのは構わないだろうと思って出し続けていたら、公開の席で、「意地になってよこす人がいる」と言われて赤面しました。それまで訓詁注釈が学問だと教え込まれてきた私に、西尾先生は「読む」論を書く機会を与えて下さったので恩を感じ、年1度の賀状を出せるのを誇りに思っていたのですが・・・

永積安明先生は、返礼だけを寒中見舞でお出しになる主義で、かっこいいなあと思いました。若い内はできないことなので、自分もいつかああなりたい、と思っていましたが、最近は返礼を出すくらいなら全部やめてしまった方がいい、と考えるようになりました。私は永積先生ほど礼儀正しくないのです。