音楽評論家

朝刊で片山杜秀という人の音楽批評「変奏曲を聴く 希望と絶望つかみとるレッスン」(朝日15日文化欄「蛙鳴梟聴」)を読みました。バッハ「ゴルトベルク変奏曲」とジェフスキー「不屈の民による36の変奏曲」、2つのピアノ演奏を聴いた批評です。現代批評でもあり、変奏曲という音楽形式とピアニストの個性とを説いてもいて、私はこの2曲をよく知りませんが、それでも充実した思索に出遭った満腹感を味わいました。

こういう文章を昔読んだな、と思い出したのは、吉田秀和(1913-2012)の連載した「音楽展望」でした。時には難しくてよく解らなかったり、話が拡がりすぎてる、と思ったこともありましたが、音楽評論が音楽に留まらず文明批評になっていると感じて読んでいました。片山杜秀さんについて調べると、1963年生まれ、橋川文三に師事した政治思想史の専門家なのだそう。才のある人なのでしょうね。

30代で都立の定時制高校に勤めた時、風采の上がらない、しかし飄々とした初老の数学教師がいて、生徒からは一目置かれていましたが、同僚から、あの人は有名な音楽評論家なんだよ、と教えられました。評論では食えないから数学教師をやっているということでしたが、ある時何かの拍子に、私の体格について、なかなかいいプロポーションをしておられる、と言ったのでぎょっとしました。嫌みはありませんでしたが思いがけない観察力に、肝を冷やしたのです。

鳥取大学に勤めた時、音楽科の楽理担当教官は、市内の教会のオーナーだということでしたが、宴会の余興には必ず本格的な安来節を踊り、奥さんが宴会のある日には新品の下着を着せて出す、ということで有名でした。じつはバッハの専門家なんだと教えられて、吃驚するやら納得するやら。音楽評論家には鬼才、いや英才が多いらしい。