4年ぶりの墓参

父方の従妹夫妻の車で、富士霊園へ墓参に出かけました。コロナの間は遠出できなかったので、4年ぶりの墓参です。東名をひた走る車の後部で、私と6歳下の従妹とは、勝手にお喋りを続けました。父が亡くなった頃のこと、互いのその後の暮らし、従妹が今仕事にしている病児支援事業のこと、日本の医療制度、親族の消息、遠い昔の思い出話・・・やがて行く手に冠雪の富士山が姿を現わしました。富士霊園はポスターや機関誌の表紙に富士の写真を掲げますが、意外に霊園から富士山を見ることは稀なのです。

霊峰富士

この近辺も、今年の気候はよくなかったと見えて紅葉の発色はよくありませんでしたが、時折はっとするほど美しい樹を見かけました。我が家の墓に到着、水と花香を手向けて3人それぞれに手を合わせました。先週、墓仕舞いの手続きを完了したので、私はその報告です。平日なので園内に人影は殆どありませんでした。

紅葉と富士

あちこちで植木の剪定が行われていました。この霊園ができてから、地元では造園業が盛んになり、植木職人の養成や苗木の生産・販売も行われるようになったと聞きました。広大な火山灰地利用の、殆ど国家プロジェクトとして1960年代に造成され、今では後背の山を開削してどんどん拡大されています。亡父は初期に「永代供養」の心算で購入したのですが、じつは「永代管理」だったようで、親族に承継の義務を負担させるよりも私が一定の年月の権利を再購入して、その後墓仕舞いすることにしたのです。

いつもそうですが、墓参をすると何故かほっとします。往復の時間に比べてあっけないほどの短時間なのに。富士スピードウェイ自衛隊演習地の砲音が遠くで聞こえ、富士には雲が寄ったり離れたり、名鉄菜館で遅い昼食を摂る間も雄姿を堪能させてくれました。久々の墓参を、故人たちも喜んでくれたのだと思うことにしました。