乳と蜜の流るる地

連日の戦地報道。ウクライナの場合と違って(現地で攻撃を受ける側では、実質的に違いはないでしょうが)、折鶴や夜間照明での意思表明どころではない。日々堪えられない思いで、我々は堪えているしかないのでしょうか。

あの地が難しいことは知っていました。永く、複雑な歴史を引き摺っていることも知っていました。ガザ地区が天井のない牢獄と呼ばれていることも、ルポルタージュを読んで知っていました。今回の戦争勃発は、パレスチナの自滅行為ではないかと思ったりしました。すれすれの綱渡りで保たれてきた共存を、何故敢えて突き崩そうとするのか、と。

しかし改めてウェブで彼の地の近代史を調べ、呆然としました。平和共存は当事者たちにとっては画餅なのだ、と思いました。そもそもパレスチナは、国連では国家に準ずる扱いとなっていますが、地域の名称でしかなく、イスラエルの側からは自国の一部と言い得る状態だったらしい。日常的に攻撃と弾圧が行われ、ハマスはいわば、望んで挑発に乗ったのではなかったか。

イスラエル自衛権、と米国は言いますが、果たしてその語は適切なのでしょうか。欧州はホロコーストの負い目があり、米国は911のトラウマがある。弊国は今回も米国側に立った外交でいいのか。戦争は決して問題を解決しません。日本はそれをよく知っている。憲法9条は幻想的な理想を言っているのではなく、実体験から得た結論なのです。

遡れば彼の地は、太古「乳と蜜の流るる地」と言われました。一部の報道によればイスラエルは、パレスチナから再びシナイ半島へ人々を追い返し、閉じ込めるまで戦闘を続ける計画だという。モーセを呼び返せと言うのでしょうか。国家にどんな経緯があるとしても、その地に生まれた子供たちの生命と故郷を奪う権利は、誰にも、ない。