ベトナムを遠く離れて

水戸在住の教え子から、小さな小包が届きました。主人の出張土産です、というカードがついていました。きっと、サイゴンという地名の方がお好きだろうと思って探したらしいのですが、と書き添えられていて、ホーチミン(旧サイゴン)の夜景の栞と、蓮花の香りのお茶の包みが入っていました。蓮はヴェトナムの国花、知恵の象徴です。

ホーチミンはもとは人名です。顎髭の老人の写真が毎日のように新聞に載った頃ー半世紀前、米国は共産主義浸透を防ぐためにヴェトナムに侵攻し、地元のゲリラに苦しめられ、遂に撤退するまで、双方に膨大な損害を出しました。原爆こそ使いませんでしたが、密林に隠れるゲリラを討伐するために撒いた枯葉剤は、後の世代まで被害を及ぼしたのです。サイゴンは南の都市、ハノイが北側、民族戦線の首都で、当時ハノイ発の報道に、連日手に汗を握ったものでした。ホーチミン率いるサンダル履きの民族戦線に、近代兵器を駆使する米軍が勝てない。いま思えば、民族自決大義だけでなく、敗戦国日本の「判官贔屓」もあったかもしれません。米軍撤退後、サイゴンホーチミンと改名されました。

あの時、米軍は日本の基地からヴェトナム爆撃に向かっていたのでした。私たちは米軍の介入を不当だと感じながら、非力でした。反戦デモや脱走米兵を匿う運動があって、「ベトナムを遠く離れて」という、日本の平和を苦く噛みしめたフレーズがありました。米国では、苦しい兵役を経験してトラウマを抱える元兵士たちが、社会問題になりました。顧みれば、米国が正義をふりかざして介入した紛争で、すっきり解決した例が今まであったでしょうか。近年でもアフガニスタンから撤退し、ウクライナへの支援予算を打ち切り、安保理でガザ攻撃停止決議を拒否し・・・それまでに何をやったか。

腰を下ろして蓮の花の緑茶を淹れ、月餅を食べました。ヴェトナムを、遠く離れて。