中世文学会2023秋(1)

中世文学会初日、オンラインで講演を視聴しました。①妹尾好信「「中世王朝物語」は文学史用語たり得るか」 ②村尾誠一「新古今時代に関してやり残したこと三題」です。

①は『中世王朝物語全集』22巻(笠間書院)がまもなく完結することに因み、平安末期から近世初期にかけて(狭義には鎌倉期まで)作られた物語を「王朝物語」という用語で総称することについて、賛否を紹介しながら述べたもの。擬古物語鎌倉時代物語などの用語もありますが、なかなかドンピシャの語がなく、議論があることは知っていましたが、改めて整理されてみると、軍記物語研究にも共通する点があって些か苦笑しました。語句の一部だけに注目して適不適を言い立てたり、用語はあくまで近代の研究者たちの(作業のための)概念規定であることを捨象して議論するのは空しい。「王朝物語」というジャンル概念が確立していないことや、作品の多くが成立年代不明であること、時代区分が問題になるほど長期間に亘っていることなど、難しさの理由がよく分かりました。もともと版元の販売戦略もあっての命名から始まっているので、「擬古」といった見慣れぬ漢字は避けられたのでしょう。「鎌倉時代物語」は「室町時代物語」と対称になるのが便利ですが、殆ど全て源氏物語の影響下にあることが鮮明にならない。その点、中世に生まれた「王朝物語」(つまり「中世」に作られた「王朝」風味の物語)という意味だと考えれば、分かりやすい。学術用語としては分かりやすすぎて、頼りないのかもしれません。

②は聴衆が同じ関心、同程度の知識を持つ和歌文学会ならいいが、中世文学会ではもう少し話を刈り込んで欲しかった。新古今集の企画当初に源通親が関わったかどうか、後鳥羽院御口伝の執筆時期はいつか、という2つの問題を考えたいと述べる過程であちこち話が派生して、聴く方は疲弊しました。