続古今集

和歌文学大系38『続古今和歌集』(明治書院)が出ました。藤川功和・山本啓介・木村尚志・久保田淳の方々による校注本です。まず解説を読み、それから木村さんの担当した箇所の訳注を拾って読んでいきました。

最近の歌集の注釈を読みながら、本歌だけでなく頭注に挙げられる類歌・同想歌の幅が広すぎるような感じがしていましたが、『続古今集』の場合はたしかに、これだけの先行作品の積層の上に成り立つ歌集なんだなあと納得しました。率直に言って、鑑賞者として見れば、繰り返し吟唱したくなるような1首は、あまり多くない。その当時の文芸意識の型に落とし込んで、どうまとめるか、という作が殆どのような気がしてしまいます。春歌下では、No125の為家の作「よしさらば散るまでは見じ山ざくら花のさかりを面影にして」などが、私には目に留まりました。

嵯峨院時代は嵐の間の一時的平和とでもいう時代で、京都の宮廷では一種の文化サロンが営まれ、東国にも武士政権の周辺に、それなりの文化が育ちつつありました。『源氏物語』が理想的王朝世界のように思慕される一方、文人たちも否応なしに公武の政治に巻き込まれて日々を送っていました。幾つもの擬古物語が書かれ、『十訓抄』や『古今著聞集』のような大がかりな説話集や、『続後撰集』『続古今集』、また『風葉和歌集』が編まれ、『増鏡』や『とはずがたり』の人々が生きていた時代です。おそらく『平家物語』もこの頃、編集作業が行われたと私は考えています。

この時代の文学的雰囲気を少しでも知りたくて、佐藤恒雄さんの『藤原為家研究』(笠間書院 2008)を運び出して来て(全1380頁もある大著。片手では持てません)、改めて序章を読み直しました。