中世文学会2023秋(2)

中世文学会2日目。午後の発表をオンラインで視聴しました。①間枝遼太郎「諏訪社の田村麻呂伝説」 ②小森一輝「近代国語読本における源義経伝承の受容」 ③野中哲照「覚一本の“練成”とは何か」の3本です。

①は諏訪社中世の縁起に見られる高丸討伐譚は従来の説より古く、園太暦が言及する「隆弁僧正式」により1283年以前からあったのではないかとする論。最後に徳田和夫さんが述べたまとめと助言が適切。私は前九年合戦と諏訪縁起の関係に興味を惹かれました。

②は戦前戦中を通観して、国定国語教科書に義経関連の教材が1910年頃から急増し、尚武・快活賞賛の傾向から、英雄崇拝・軍人尊重の色が濃くなり、1941年からは皇国思想が打ち出され、現実の戦争を重ね合わせて語るようになり、戦後一転して平和主義になったものの、平家物語は1947年から復活(「忠度都落」)、1950年以降は「扇の的」や「宇治川」など、ナショナリズムに利用されかねない教材が多くなった、と論じました。軍記物語の教材化でなく「義経伝承」というと、もっと問題は広がっているはずで、民衆の中の牛若・義経像は敗者への肩入れ(判官贔屓)とは限らない、国語だけでなく音楽や体育の授業にも共通する問題がある、とのフロアからの指摘には同感。

③は著書『那須与一の謎を解く』(武蔵野書院 2022)を広める実演、と言えばいいでしょうか。「那須与一」の表現効果を若向きのパワーポイント画面で説明していく前半は教材研究としては有意義でしょうが、全体に平家物語の研究発表としては・・・何とも。老人から敢えて一言ー間接的なお勉強を集大成しても先進的研究にはなりません。また平家物語の成立や当道座との関係、現存しない伝本に関する資料の辻褄を合わせてもあり得た事実には辿り着かない、いや、辻褄が合わないところが出発点なのです。