尾張・三河の中世

名古屋の松島周一さんから、抜刷が送られてきました。①「応仁の乱前後の斯波家と尾張守護代織田敏広から織田敏定へー」(「歴史研究」68号 2022) ②永正年間の戸田氏と今川氏」(「愛知県公文書館研究紀要」創刊号)の2篇です。全くの門外ながら15世紀、16世紀の時代の雰囲気に関心があるので、読んでみました。

どちらも史料に限りがあり、それぞれの史料の性格を客観的に見極めながら利用するのに苦心があるようです。①は軍記、寺院資料だけでなく、『宗長手記』や『梅花無尽蔵』などの文学作品も援用しています。15世紀後半、尾張守護の斯波義敏・義隆の下で守護代を務めた織田敏広について、応仁・文明の乱を経て織田敏定に勢力を奪われるまでの経緯、主家の家督争いや近隣の政治軍事情勢に翻弄された生涯を辿っており、私には一々の妥当性は判断できませんが、近年の世界情勢とも思い比べながら読みました。

②は15世紀後半から16世紀前半、三河の国境に勢力を張って、周辺の諸勢力と協調・対立を繰り返していた戸田氏の動向に注目して、遠江三河尾張地域の変化を追跡しようとしています。使用する史料が主に書簡類なので、その年次判定が問題になり、従来の研究を覆す論点も多い。永正3年(1506)頃には今川氏は三河に侵攻したが間もなく撤退、その後受け身状態に置かれていたものの、同14年には遠江を完全に領国化し、東海地域の歴史構造の転換がなされた、と言っています。

30年前、名古屋の仕事仲間の間で松島さんは最も若く、紅顔の少年扱いされて、故美濃部重克さんや松薗斉さん、今井正之助さんたちから「可愛がられて」いました。添状によれば、今年定年となり、再雇用で勤務しているとのこと。苦労の多い地方自治体史にも関わって、変わらず元気一杯のようです。何より。