室町期の治罰綸旨・院宣

藤立紘輝さんの論文「室町期における治罰綸旨・院宣」(「七隈史学」24号)を読みました。藤立さんは令和3年度に福岡大学大学院修士課程に入学し、本基金の奨学生に採択されました。中世後期日本史が専門です。

治罰綸旨(院宣)とは、朝敵とされた人物や勢力の討伐を命じる綸旨または院宣のことです。中世において「朝敵」と認定されることは、絶体絶命の立場に追いやられることでした。誰も味方することができなくなる、つまり治罰綸旨(院宣)を出すこと・自分の敵に対して出して貰うことは、大義名分を与えること・手に入れることだったわけです。

本論文は、戦国期の天皇の権威向上と結びつけられて論じられてきた治罰綸旨(院宣)を、室町期の政権構造と照らし合わせ、公武統一政権の性格上、公武双方の事情やその時期の力関係による問題として考察すべきだとするもの。多くの先行研究を参照し、綸旨、願文、日記などの古記録を読み解きながら考察を進めています。力作ですが、注の多さ(103まである)はもう少し整理できなかったのか。読者には読みにくい。

第1章では嘉吉の変、後南朝による内裏襲撃(禁闕の変)を取り上げ、低下していた室町殿の求心力を後花園天皇の綸旨が補完する結果をもたらしたとし、第2章では応仁・文明の乱を中心に、治罰院宣と室町殿の御内書と併せての発給は、公武一体化を可視化する効果があったと述べます。第3章では応仁・文明の乱終結から六角征伐までの時期、朝廷を守護し公武を統べることが室町殿義政・義材の理想だったが、戦国期には治罰綸旨が分国統一に利用されるようになって、役割が変わると見通しています。

藤田さんは今は、戦国期の大内義隆の北部九州支配に関心があり、10月2日の古文書学会で、大府宣の分析を中心に口頭発表をするそうです。