中世文学研究会350

午後から、東大の中世文学研究会がハイブリッドで行われました。院生とOBと合同の研究会、350回目だそうです。発表は①院生の杉山翔哉さん「謡曲《八島》のいくさ語り」 ②OBの原田敦史さん「真名本『曽我物語』考」 の2本、参加者は対面・リモート併せて30名くらいでしょうか。

①は世阿弥作とされる修羅能「八島」に何故錣引や弓流の逸話があって那須与一の挿話がないのか、という問いを立て、長門本平家物語の本文と比較しながら、「八島」は義経に焦点を絞る意図があり、略述傾向のある長門本と共通するのは時代を同じくするからか、という観点で分析しました。たしかに長門本の本文には略述性が見られますが、「八島」研究にとっての必然性がよく分からない。じつは今年のゼミで、長門本平家物語を輪読しているのだそうで、長門本の新資料が続出しているいま、進行中の企画もあり、いわゆる「機が熟した」という天啓なのかなあ、と思ったりしました。修羅能「八島」には、世阿弥の思想について考えさせられる、いくつかの謎があって、そういう話も聞きたいと思いました。後のことにはなりますが、16~17世紀の絵画資料で屋島関係の題材では、弓流と那須与一が一番人気、ついで継信最期、それから錣引でしょう。

②は真名本曽我物語を「読む」論です。果たして報恩謝徳、父の仇討の物語なのか、作者は何故この物語を書いたのか、という問いへの回答を、ひたすら物語そのものの読みと、先行研究の援用とで語り尽くす1時間。父を喪った幼年時代、兄弟は貧乏なだけでなく武士になるための養育を受けられなかった、いわば自分の人生を奪われた、それを与えてやろうと当の仇から言われた時、憎悪は復讐の念になったのだ、という。うーむ、読みとして成り立つとは思うものの、自分の言葉で、どれだけ立証できるかな。