平家公達を詠む漢詩

杉下元明さんの「平家公達を詠む詩」(「日本漢文学研究」19号)を読みました。鈴木健一さんが『江戸古典学の論』(汲古書院 2011)で挙げた詠史詩集の中から、『晞髪偶詠』(岡田新川 安永9=1780年)を取り上げ、その中でも平家公達を詠んだ詩に注目して考察しています。『晞髪偶詠』下巻には我が国の歴史上の人物を詠んだ律詩100首が収められ、その中で源平時代は33首にも上るのだそうで、それは新川のみならず時代の好みの一端を反映しているのではないでしょうか。

杉下さんがここで取り上げたのは、平経正、忠盛、清盛、忠度、重盛、知盛、重衡、敦盛、教経、維盛、六代を詠んだ詩で、平家物語源平盛衰記の内容と比較しながら解釈しています(但し語り系の使用テキストが覚一別本なのは疑問、流布本の方が可能性が高い)。見慣れない語もかなりあるようで、注釈を完成させるのは未だ先になるのかもしれません。p83上段、重衡を詠んだ詩の中、「欲就高僧因受戒」は法然上人から受戒したことを指しています。また経正が今日では「影の薄い人物」と言っていますが、平家物語の構成上からは、平家が敗戦から抜け出られなくなる首途ともいうべき竹生島参詣を始め大事な結節点に登場する、印象深い挿話の主でもあります。

杉下さんは、重盛、重衡、忠度、敦盛、教経、知盛については大沼枕山の『日本詠史百律』(明治16=1883年)と比較しています。私には漢詩の出来不出来は分かりませんが、川柳や近世の演劇、小説類、さらに装飾品の意匠にも愛用された源平時代の挿話を思い浮かべながら見ていくと、近世人の記憶に根を下ろした源平の物語の豊かさ、広汎さがぼんやりとではあるが意識されます。研究ノートと銘打っている通り本論は、今後もっと深く掘り下げ、他の近世文芸をも見渡していく作業の入り口なのでしょう。