天真爛漫

NHKの朝ドラが完結しました。かつての園芸学志望はもうとっくに視聴をやめたらしいのですが、植物分類学志望だった私は、ほぼ全回視ました。友人はNHKの自家番宣が目に余るのでやめた、と言い、全く同感です。そもそもあれは「このドラマはモデルのあるフィクションです」という断り書きをつけるべきで、固有名詞を少々変更した程度で済むレベルではない。ウェブの人名事典が最近全面的に書き直されているのに吃驚(更新年月日を入れるべきだ)。しかし歴史文学を扱う者としては、さもありなんと思いました。

まず年代、それから事の因果関係がさんざん変更されている。風俗や価値観が現代の好みに沿っている(往時の日本ではあんなにすぐハグしたり、女の子が地べたに寝転がったりしません)。むやみに夫婦愛を強調し、表現手法がマンガ的なのは、想定視聴者層に起因するのでしょうが、これが歴史文学の常套でもあり、こうして後世の思い込みが創られていくのだと思いつつ視ました。

バックヤードが大変だったろうなあ、とつくづく思いました。何しろ3Dで小道具の植物を作ったりしたようですから。しかし致命傷は主演男優がニン不足だったこと。自伝を読むと、実際の牧野富太郎は、目力の強い、頑固な(いごっそう)男だったらしい。民権運動に一時のめりこみ、脱退表明をド派手にやったそうだし、小学校の教師も短期間勤めていて、気の弱そうな笑顔で世を渡る若者ではない。小学校中退と言っても現代の小学校とは違います。彼は「風のガーデン」などいい演技もあるのですが、この主役の「天真爛漫さ」を演じることはできなかった、というのが率直な感想です。

牧野富太郎の偉業の要因は、精密な植物画の才能と集中力にあったのだ、と改めて認識しました(我が家では、植物図鑑の画は実物とは似てないよなあ、というのが一致した意見でしたが)。子供の頃絵本代わりに愛読した『日本植物図鑑』は、親の蔵書と共に処分してしまいました。かなりの後悔を今、噛みしめています。