源平の人々に出会う旅 第40回「那須・扇の的」

 元暦2年(1185)2月、義経は少数の兵で阿波国勝浦に上陸し、讃岐国屋島にある平家の館を襲撃します。海上へ逃れた平家との、陸と海との戦いとなり、源氏方の佐藤嗣信が能登守教経に射殺されてしまいます。

那須温泉神社】
 日が傾くと、平家船が陸に近づき、船端に扇を立てたます。扇を射るよう義経に命じられた那須与一は弓をつがえ「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現宇都宮、那須の湯泉大明神、願くはあの扇の真ん中射させてたばせ給へ」と祈ると、風が弱まり、矢は扇の要に命中しました。

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那須与一腰掛松】
 覚一本『平家物語』は平家が扇を立てた理由は記していませんが、『源平盛衰記』は軍(いくさ)占いのためとし、高倉院が厳島御幸の際に奉納した扇としています。後日談として、那須町には、与一が那須湯泉大明神に御礼参りに行った際に腰掛けたという腰掛松伝説が残っています。

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【黒磯巻狩鍋】
 那須といえば、源実朝の「武士の矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原」(金槐集)が思い浮かびますが、頼朝の那須の巻狩も有名です。郷土食の巻狩鍋は、その時に捕獲した熊・鹿・鴨などを大きな鍋で煮込んで食す様子をイメージして、現代風にアレンジされたものです。毎年10月に行われる「巻狩まつり」では、巨大な鍋が使用されます。

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〈交通〉
 JR黒磯駅よりバス
      (伊藤悦子)