米国からの客

9日の夜、そろそろPCを落とそうと机の前に座った途端、米国からのメールが飛び込んできました。11日に羽田へ着き、19日に帰国するが、その間に会えないか、という突然のメールです。今度もか・・・いつも唐突なアクセスをしてくる、母の姉の孫 Yuri Yamamotoです。猛暑の東京、しかも台風来襲の予報が出ている期間に、親族4軒を訪ねたい、青山墓地にも行きたい、父祖の地伊賀上野へも行ってみたい、と言う。

伯母は私が生まれる前に亡くなったので、その息子3人(私には従兄たち)とは殆どつきあいがなく、Yuriから最初に手紙が来た時は誰なのかも分かりませんでした。米国でチャプレンになった彼女は、いま自分のルーツ確認をしたいのだと言う。私が話すことは何もないけど、と思いつつ親族のあちこちへ連絡をしておきました。

そして今日、我が家にやってきました。新幹線不通で伊賀上野行きは諦めたと言う。名張の半農半商の家に生まれた私の祖父は、明治37年に妻と長女(私からは伯母)を連れて上京、造花の製造販売を始め、九段で大きな問屋をやっていましたが、戦後没落して孫の代で店を畳みました。伯母の結婚相手は名張の神官だったそうで、Yuriの父親は速記者から小さな出版社を興し、つくばに住んでいました。この一族の歴史の経糸は、さきの大戦と造花業界の浮沈と結核で、日本近代史の一つの典型だという話をしました。

Yuriはときどき日本語につっかえながら、自分の半生を語り、米国社会における人種差別、経済格差を語りました。大学では遺伝学を学んだそうですが、米国では環境保全音楽療法、宗教活動に関わってきたらしい。帰国したら、ノースカロライナ州刑務所の専属チャプレンに就任するとのこと。私が勧めた15日正午の靖国体験は、つよく印象に残ったと言って帰りました。62歳、もう孫もいるのですが、自分探しの旅だったようです。