点鬼簿

母方の従姉から手紙が来ました。91歳です。先日、USAにいるYuri Yamamoto(従兄の娘。遺伝学者・ミュージシャン、チャプレンでもあります)から突然手紙が来て、一族のルーツを知りたいと言われたことを本ブログに書きましたが、従姉が彼女に送った文章のコピーが同封されていました。従姉自身が書いた一族の思い出話に、Yuriの叔父に当たる故人が補足した文章です。すでに大半が鬼籍に入った叔父伯母、従姉たちのことが写真入りで記されていました。断片的に知っていたことのほか、私の印象とは随分違う話もあって、知っておいてよかった、とYuri のくれた機会に感謝しました。

母方の祖父は伊賀上野の出身でした。明治37年に上京して造花問屋を開業、九段に店舗、中野に工場があったそうです。3男2女をもうけ、その中の次女が私の母でした。長女がYuriの祖母ですが、当時流行った結核で私の生まれる前に亡くなっています。

長男が店を継ぎ、次男は満州から引き揚げて晩年は幼稚園を経営、3男は医者になりました。2人とも声の大きい人で、普通に話すだけで衆目が集まるので私は苦手でした。

福岡から上京して小石川に下宿した父は、下宿の娘の友人だった私の母と恋に落ちました。後年、網野善彦さんから、西の男と東の女が結婚するのは珍しい例だ、と言われましたが、よくある話ですよね。当時は男女交際への警察の目が厳しかったので、伯母はデートに未だ子供だった従姉をつけたが、若い2人は示し合わせて彼女を巻いたらしい。母が結核で亡くなるまで10年間の結婚生活でしたが、父は兵役で4年間中国へ行っていたし、その後も疎開のため福岡と東京に別れて暮らしていたのですが、東横線沿線や湘南で過ごした短い新婚生活が父自身や従姉に残した思い出は、濃いものだったようです。

芥川龍之介に「点鬼簿」という作品があります。もう一度読み返したくなりました。