信濃便り・盆休篇

長野の友人から、気がつけばお盆支度の時期、市場は花で一杯、とメールが来ました。

盆花

かつては盆花は山へ摘みに行くものでした。戦後、先祖伝来の山林を手放す時にも、盆花用の草地だけは残したという人もあり、畑地の隅には、どこでも夏の花が数株植えられていました。写真は色とりどりの蝦夷菊ですが、よく見ると蒲の穂や、萱の葉も添えられていて、先祖の魂の棲む山の面影があります。

盆休を早めに取ったエノキさんは、長野へ2泊3日で行ってきたとのこと。彼女は三河出身ですが、戸隠で16年間暮らしたそうで、当時の友人たちと飯綱高原へ行ったという。気温は30度以上あったが風が涼しいので、東京へ帰ってきて蒸し暑さに吃驚した、と言っていました。長野は野菜が美味しくて安く、道の駅で胡瓜を6本¥200で売っていたので思わず手を出しそうになり、地元の友人たちからは白い目で見られ、そうだ、胡瓜は買うもんじゃなかった(近所から貰うか自家の庭先で獲れる)と思い出したそうです。いかにもインスタ「映え」しそうな野菜カレーや野菜ピザの写真を見せてくれました。

若木の石榴(長野市内)

湖の前に並ぶアラ50女性4人の写真もありました。それぞれ忙しいらしかったが、殊に認知症の親と同居している友人の家に泊めて貰って、今まで知らなかった経験をしたと言うのです。予想とは違うことがつぎつぎ起こるので、傍からは分からない苦労があることが分かったとのことでした。楽しい2日間の最後、4人で、私たちがんばってるよねえ、と言って別れてきたそうです。同年代の女性なら、思い当たることでしょう。親の介護、自分の病気、子供の進路・・・女の日常は何事も無かったように過ぎて当たり前、手柄が他人から褒められるわけではない。毎日ひたすら乗り越えてくるだけ。ときどき、こうして確かめれば、また続けていける。