古筆家資料長門切3点

平藤幸さんの「慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)古筆家資料(斯道文庫保管)『平家物語長門切の考察」(「国文鶴見」57号)を読みました。本ブログ「新出平家物語断簡」(2021/05/02)でも紹介した、3点の長門切についての翻刻と考察です。この年、慶應義塾ミュージアム・コモンズで展示された4点の世尊寺行俊筆とされる断簡について、うち1点は『浄土五祖絵伝』絵巻の詞書部分と判明しましたが、残る3点のいわゆる長門切を翻刻、該当しそうな源平盛衰記の記事を吟味しています。

断簡Aは盛衰記巻26「入道非直人」、いわゆる「経島」記事の一部で、玉葉によって承安2(1172)年に宋から清盛と後白河院とに宝物が贈られた事実が分かるという。

断簡Cは盛衰記巻18「文覚流罪」の一部に該当し、右端に綴孔らしき痕跡があるそうで、一旦冊子本に改装されたことがあったのでしょうか。

問題は断簡Bです。長門切は概ね源平盛衰記に最も近く、1割程度独自本文が見いだされるのですが、この切も、現存諸本にはぴったり合う文章が見つかりません。平藤さんは巻27「資永中風」ではないかと想定しています。越後の城資永・資茂兄弟と義仲追討を廻る記事は、平家物語諸本の間で異同や混乱があり、そういう箇所は編集が繰り返された可能性があります。しかし私がその箇所を候補に挙げないのは、冒頭の「又あるゆふくれに」、また「東より・・・西を指てそ」などに注目したからで、度々の怪異や地理的位置の意味するものを考えたのです。なお「鞠のせいほどなる物」の「せい」は「精」ではなく「勢」で、「鞠くらいの大きさ」または「鞠のようなかたち」の意でしょう。

長門切は模写も含めればなお未報告の新出資料があるらしく、発見されている部分は全巻ではないようです。慎重に、しかし大胆な仮説を避けずに研究を進めたいと思います。