阿波国便り・平家蟹篇

徳島の原水さんから、大学3年の時に赤間神宮へ行ったことを思い出したので、と写メールが来ました。

下関土産の平家蟹

【大学3年の時、赤間神宮で買った「平家蟹」を引っ張り出しました。なにしろ半世紀以上の歳月を経ているため、随分汚れていましたが、アルコールで拭くと、少しきれいになり、知盛の恨みの形相もくっきりしてきました(原水民樹)】。

そうそう、私が初めて長門本平家物語の調査で赤間神宮へ行った頃は、お札やお守りと一緒に、干した平家蟹がお土産品として売られていました。甲羅の凹凸が渋面を作った人の顔に見え、平知盛を始め平家一族の怨恨が蟹となって壇ノ浦に棲息しているとの説明付きでした。もう今は獲れなくなったのでしょう、お土産用には売っていないようです。その頃は下関の街を壇ノ浦に向かって歩くと、軒先に膨らんだ河豚(皮だけの剥製)が吊してあり、河豚提灯を作るために干しているということでした。

赤間神宮の前に広がる海沿いの家々は、海側が高床式で、床下にそれぞれ小舟が格納してあり、そのまま海へ漕ぎ出せるようになっていて、旅情を感じました。今は公園ができて平家の登場人物の銅像が建っていますが、あの頃は普通の砂浜で、ちょろちょろと流れる細い水路に「みもすそ川」の看板が立っていたり、船神さまの小さな祠があったりしました。関門大橋ができ、捕鯨漁業が衰退し、新幹線の駅がやや遠くにできて、門司も下関も変わってしまいました。

原水さんの回想には、初めて壇ノ浦へ行った時は、ああこれが平家物語のあの舞台か、と思ってわくわくしたものだとありました。そうでした。単にゆかりの地に来たという感慨だけでなく、あの頃は、軍記物語を研究するんだ、ということ自体に若者を奮い立たせるわくわく感があったな、と思い当たるのです。