コロナな日々 38th stage

狭いコンビニで荷詰めの台が一杯だったので、高い台で背伸びしながら杖を脇に抱えて袋詰めしていたら、老人から邪魔だと注意されました。彼自身が台一杯に自分の荷物を広げているからなのですが・・・手を止めずに、ああ済みません、狭いもので、と言いながら荷詰めを終えました。老人はとりなすように、大事な杖だろうから、とあれこれ言い足しましたが、さっさと店を出て、年を取るとこうなるんだなあ、と自省を籠めて呟きました。自分の方に問題の原因があるのに、他人に注意する。

亡父の記念基金で作った本を先週発送したので、受領の電話が数本かかりました。親族もみな高齢化し、話し相手が減っている様子がありありでした。言葉が急に出て来なかったり、相手に無縁な話を長々と始めて切り上げどころが掴めなくなったり・・・自分でも思い当たるものの、受話器の向こう側に、つくづく老いを感じざるを得ません。コロナは年寄り退治のようなものでしたね、と言い合いました。

一方で、明翔会世話役の人たち(30~40代です)の言動の迅速さが、眩しく感じられました。自分も現役時代はこうだった(学会の会場校を引き受けた時、就職したばかりの後輩から、指示が矢継ぎ早で従いて行けないと思ったが、あの速さでないと組織は回っていかないのだとだんだん判ってきた、と言われたことがありましたっけ)のに。

こうして季節、世代、時代は回っていくのでしょう。暖房費節約の寒い冬もようやく過ぎようとしています。今朝、紫蘭と菫を植えてある鉢に、何か紫色のものを見つけ、桜草の枯れた花が落ちているのかと思ってつまみ上げようとしたら、何と地上に貼り付くようにして菫の花が咲いていたのでした。未だ葉も広がらない、緑の絵具を1滴落としたような株に、もう1輪の蕾もあります。頭をよぎったのは―「歳月人を俟たず」。