花山院と実資

手嶋大侑さんの「花山院と藤原実資」(「民衆史研究」104号)という論文を読みました。藤原実資は花山院の別当であったこと、その就任は長保元(999)年7月12日以降29日以前で、花山院の死去まで務めたことを、小右記などを用いて推定しています。両者の関係は良好なものであり、実資にとっては家政に益するものでもあったこと、花山院没後も残された皇子たちの世話などの記事が小右記に見出せることも指摘しています。

花山院は、高校の古文でも大鏡に録された出家時の記事が取り上げられることが多く、つよく印象に残る人物です。愛妻を喪った悲嘆のさなかに、政治的な陰謀にはめられて王位を捨てて出家し、陰陽師安倍晴明でさえその運命を変えることができなかったー清涼殿から外へ出ようとして有明の月の明るさに思わず躊躇う場面、晴明の式神が「ただいまこれよりすぎさせおはしますめり」と告げる場面、今でも高校生時代に受けた衝撃と共に記憶が蘇ります。

出家後の西国巡礼に関する説話も、諸書に残っています。父冷泉院の狂気、院自身の奇行に関する説話も少なくありません(説話の中には比喩的に創作されたものもあるらしいが)。ツンドク山の奥から、今井源衛著『花山院の生涯』(1968 桜楓社)を引っ張り出しました。単純に読みたい本を買い集めていた頃が懐かしい。次第に仕事に直接必要な本を手に取るだけで精一杯になり、その内、読む暇の得られそうもない本は、買うのも断念するようになり・・・歳月が積もってしまったのでした。

貴族の漢文日記も、読みこなせば説話以上に興味深い世界が展開するのでしょうが、もう、転生でもしなければそういう愉しみを味わう時間はなさそうです。