山城便り・生涯の味覚篇

京都郊外で悠々自適の錦織勤さんから、庭に植えた蕗の薹の写真が来ました。

初めての収穫

【庭のフキノトウを見たら、もう開きそうだったので、あわてて収穫しました。成長に遅速があるようで、まだ小さいのもあったのですが、全部(といっても少量)収穫しました。妻にフキノトウ味噌にしてもらって、懐かしい風味を味わい、やはり植えてよかったと思いました。】

かつて鳥取大学の同僚だった時、偶々一緒に内地留学し、錦織さんは東大の史料編纂所、私は文学部に籍を置かせて貰いました。たまに構内で遭うことがありましたが、いつも、県人寮の食事がまずいとこぼすので、知り合いの料理学校校長に電話をかけ、これが江戸前の料理だ、と御馳走できる店を教えてくれ、と言ったら、止められました。あんた、よしなさい、無駄だから、と言うのです。子供の時に覚えた味がその人の生涯「一番美味しいもの」になるんだから、何を御馳走しても満足はされない、と。

料理学校の校長が、味覚の普遍性を否定するようなことを言っていいのか、と思いましたが、御馳走するのは諦めました。いま思えば、愛妻の手料理でなければ、という愚痴だったのかも知れません。写真で見ると、店で売っている栽培物と違って、葉の色もしっかりした、いかにも精のつきそうな蕗の薹ですね。

【この日京都は朝から雪が舞っていて、道路に積もるほどではありませんが、屋根にはうっすらと積もっていました。TVで市内の映像を見ると、だいぶ雪の量が多いように思えました。町中と宇治市の隣りのこの辺とでは、降り方が違うようです(錦織勤)】。

京都は市内と郊外とでは天候が違うから、漢文日記で天候を調べる際は自宅にいるのか山荘にいるのか、よく見なければいけないー日本史の人たちはそう教わるのだそうです。