北前船

先日訪ねてきた鳥取の教え子から手紙が来ました。半日空いていたので、國學院大學博物館で役小角の展示を観て、面白かったとのこと。役小角は三朝の投入堂を造った伝説もあり、修験道の聖地大山のある鳥取人にとっては身近だったのでしょう。

鳥取大学が教員養成課程を廃したのは痛手だったと話していたので、定年後の錦織勤さんとメールでやりとりしました。錦織さんも同感だそうで、学科長だった時に、入学志願者数が減った理由を書かされ、「改組の失敗」以外にないのだがそうは書けないので、改組後の受験者の傾向をエクセルで分析して適当な結論を提出した、エクセルを使うのは初めてだったので苦労した、という返事が来ました。教員養成課程は多種目の授業を用意しなければならず、コストがかかりますが、もともと地方国立大学は地元の農学校、医学校、師範学校を統合して発足しているので、地産教員を一定数確保するのは、江戸時代以来の知恵だったのです。

 錦織さんは、鳥取地盤沈下は交通問題から考える必要がある、と言う。

【富も文化も外との交流が重要なので、例えば北前船が来ないような所には、富が蓄積されず、地場産業も育たない、よそ者を受け入れる気風も生まれず文化も発展しないのではないか、と考えました。いま富山・石川・福井はそれぞれ有力な地場産業を持っていますが、それは中世の北陸海運の発達にともなって地域の産業・商業の発達があり、それを土台に北前船との深い関わりが生まれ、地域に富が蓄積されたのだと思います。交通の問題だけではありませんが、その影響は大きかったと思います(錦織勤)。】

北前船の研究が流行って、いかにその影響が大きかったかを知らされた時期がありました。但馬から石見、長門、下関へ、北前船鳥取の港へは寄らずに通り過ぎたのです。