中世文学と「連想」

夕方から東大中世文学研究会にオンラインで参加しました。発表は木下資一さんの「中世文学における「連想」の問題ー『続古事談』の説話配列などをめぐってー」、参加者は26名。昼頃に配られた発表資料を見ると、結構若い仕事内容(作業ががっちりしている、という意味)だったので、凄いなあと思いながら出ました。

木下さんは初めに阪神淡路大震災に触れ、当時神戸大に勤めていたので、今でも亡くなった学生や職員のことを思い出して涙が出る、と語りました。その頃やっていた作業の結果に基づいた発表とのことです。最初に御伽草子『猿源氏草紙』について、隠れた連想関係を活かして読むとどうなるかを述べ、中世文学において「連想」を読み取ることの重要性を説きました。

そして『宇治拾遺物語』で指摘されている2話1類の配列方法を参照して、『発心集』の配列からも説話集の主題に関わる「類纂」、キーワードによる「連纂」の2つの要素を見いだすことができるとし、さらに『続古事談』の説話配列をその観点から考察しました。『続古事談』巻6「漢朝」は、巻6だけでなく巻1とも照応しており、いわば本朝の説話の論証、注釈のような役割も果たしている、というのです。最後に『閑居友』にも2話1類の配列が見られ、『発心集』から学んだのではないかと結びました。

この会が楽しいのは、質疑応答の幅が広く、しかも鋭いところ。今日は新年会も兼ねていたので、学生時代の思い出話も出て、書誌学を早期に学ぶ必要性、書誌情報の怖さ、体験学習の重みなどが、異なる年代からさまざまに語られました。そんな話は45年前に聞きたかった、という声もありましたし、説話配列の連想関係について、著名な仏教文学者と説話文学者の火の出るような論戦の現場に居合わせた話も出ました。