驢馬の耳

購読紙とは方向の異なる週刊誌や月刊誌を時々買ってバランスを取る、という話は以前にも書きました。最近は夜の民放報道番組を視て、TV報道のバランスを確かめます。正午と、19:00または21:00のNHKニュースを視るのが定番でしたが、政府発表そのまんま状態が続くな、と感じる時(何故、「選挙演説中に銃撃された」という冠辞がいつまでも必要なのでしょうか。「元首相」だけで十分。選挙演説中だろうと就寝中だろうと、他人の命を奪う行為が許されないことは同じ)は、意識して視ることにしています。

「報道1930」は、ウクライナ戦争の解説にも詳しい。かつては報道のTBS、と謳われたものでした。日本には、こんなに軍事の専門家がいたんだ、と知って驚きました。しかし戦闘が長引くうちに、必死で戦う他国の戦場分析が、何だか欧米諸国(日本も)の戦争シミュレーションになっているような後ろめたさを覚えます。総体的にウクライナの戦闘能力を少し期待読みしているのでは、と思うこともあります。早く終結して欲しい。

ネット上に「TBSがんばれ」という#ができ、週末にはスポーツ紙に関係議員の数字が踊りました。ようやく報道が正鵠を射始めた、と思いました。さらに「この時点で気づくべきでした」という#もできました。TBSは昼番と夜の報道特集とでニュアンスを使い分けているようで、幅広い視聴者への対応に苦心しているのでしょうか。しかし大手紙が川柳欄でおちょくったり、政治テロと混同させるすりかえ談話を連載しているようでは、報道の使命を果たせません。この道はいつか来た道。2度と誤ってはならない。

王様の耳は驢馬の耳、木々の梢も草の葉も風にそう囁くようになって、隠し事はできなくなりました。政教分離、政治資金の出所、民主主義を壊していたのは誰だったのか、今後の各社・各局の姿勢を見つめたいと思います。