時を超えて

一昨日の晩、NHKニュース、民放ニュースショー、そしてNHKの特番と続けてウクライナ報道を視ました。ロシアの戦時教育の映像には既視感がありましたー無垢な子供たちが誤った情報に基づき、軍国主義に染まっていくのは、80年前の日本でそっくり起こっていたことです。まったく同じ事が、いま彼国で繰り返されている。

自衛官がロシア軍の構成図を見ながら、「私が隊長だったら」と解説するのを驚きながら視ていたら、「歩兵の数が足りない」と言っている。出征経験のある父は生前、今の若い人はあんな苦しい軍隊生活は我慢できないから大丈夫、戦争はもうできない、と独言したことがありました。私は、今どきはボタン戦争なのにと思いましたが、黙っていました。しかし陸続きの戦争では、今でも消耗品としての歩兵が一定数必要なのらしい。

焼き尽くされる街や村、泣き叫ぶ人々、戦争を知らない世代に、戦争とはこういうものだと見ておいて欲しい、と思っていました。けれども米国留学を中断して帰国し、救援物資の配送に奔走するカップルの自撮り投稿を視て息を呑みました。後戻り出来ないと知りつつ帰国する理由を訊かれて、彼等はこう答えます「祖国へ帰る、それが答だ」。そしてこう付け加えたのです、「祖国があるうちに」(これは日本の敗戦と決定的に違います)。暗い灯火の中でフォークを動かしながら、彼が「僕は今29歳だ、30歳まで生きられるかな」と言うと、彼女は「私は未だ26、死ぬ覚悟はできていない」と言う。ドラマではありません。78年前の日本の光景そのままでした。

侵攻初期には、地元民が武装したロシア兵に直接詰め寄る姿も投稿されました。装甲車の前に立ち塞がり、素手で押し返す人々。独り暮らしの女性が、恐怖に脅える毎日を自撮りしていました。次第に自分も戦争に慣れていく、入隊も殺人もできそうな気がする、兵士たちの心の中が心配だ、と。その想像力に感動しつつ、私たちも20代まで、大人の男たちの中には戦場体験者(彼等は決してカミングアウトしない)のいることが、ずっと怖かったことを思い出しました。