軍記物談話会抄史(2)

昭和43年12月、軍記物談話会では渥美かをる氏を講演にお招きしました。その頃、会員は50名に近づいていましたが、会員の同窓会館などを会場に、手弁当で運営されていました。有名な女性会員は3名いた(それぞれ、『承久記』、『平家物語』や幸若、『太平記』が専門でした)のですが、2人は運営には参加せず(それには理由があったことを後に知りました)、会計を務める同窓同門の先輩が活躍していました。

私は会社員を辞めて大学院に入りましたが、直後に学園紛争が始まって大学は機能しなくなり、プロの文学研究とはどうすればいいのか、途方に暮れている時期でした。卒論のテーマを選んだ当初から、渥美氏の研究に導かれたり噛みついたりしていたので、当日の講演はほんとに楽しみにしていたのです。ところが始まるやいなや、先輩から、ちょっとちょっと、と水屋へ呼ばれました。おもてなしの紅茶を淹れるから、というのです。さっさと済ませて、講演を聴きたい―しかし彼女はぺちゃぺちゃと楽しそうにお喋りを続け(レモンの香りのついた砂糖を見つけてきたから、便利でしょ、というような話でした)、作業ははかどりません。私はカップを温めながら、(誇張でなく)涙が落ちそうでした。

後日、会の役員交代の際に、あの先輩から会計を引き継ぐよう指名されましたが、断りました。会のお茶出しも簡素化するよう提案しました。随分揉めましたが、私は譲りませんでした。組織の長は男性、会計など庶務は女性、というパターンを崩したかったのと、私は誰かの子分にはならない、という信念を守りたかったのです。現実に、古参会員(発足から7年目です)には会費滞納を督促してはいけない、と彼女から言われたこともあり、それでは会の運営はできないと思いました。小さくても組織である以上、「公」の論理が貫けるようでないと、責任は持てないからです。