阿波国便り・丈六寺篇

徳島の原水民樹さんから、丈六寺に行ってみた、と写真が送られてきました。

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徳島・丈六寺

【丈六寺は、阿波の法隆寺と呼ばれる曹洞宗の古刹で、細川成之により再興されたと伝えられています。

寺号の由来となっている丈六仏について、日本史の人が、蓮華王院に安置するために阿波民部が寄進した観音像の予備ではなかったかと推測していたように記憶します。

丈六寺には、国文研の調査で数年通いました。蔵書の中に、光源氏の死去年を記した年代記があり、調べようと思いながらそのままになってしまいました。(原水民樹)】

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丈六寺観音堂

寺の説明板によれば、観音堂聖観音とは国の重要文化財になっているらしい。観音堂は永禄10(1567)年に細川真之が建立、寄進。慶安元(1648)年と昭和32(1957)年に解体修理をしたそうです。高さ約3.1mの聖観音坐像は、平安末期、定朝様式で、左手に蓮の蕾を持ち、右手は説法印を結び、飛天光背のある、国内では珍しいものとのこと。

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丈六寺

平安末期、この地域の城主は桜間介良遠だった、とも説明板にはあります。桜間は桜庭とも、良遠は能遠とも表記し、詳しい伝記は不明ですが、『平家物語』では元暦2(1185)年2月、義経が嵐を衝いて阿波に上陸し、屋島へ向かった際に登場します。諸本によって記事の内容が違いますが、地元の有力武士の代表として描かれています。

国文学研究資料館が全国の古典籍を、近辺の大学人を派遣して調査した結果は、死蔵されていると言ってもいい現状ですが、現地ではそのときどきで面白い発見もありました。須磨には「光源氏の屋敷跡」という名所ができており、丈六寺所蔵の年代記に記された光源氏死去の記事も、案外面白い話題かもしれません。