古代の法会でうたう歌

牧野淳司さんの論文「古代の法会でうたう歌ー「しぐれの雨」の歌と「秋萩の」の歌から考えるー」(「文化継承学論集」15)を読みました。『万葉集』1594歌と2205歌とが法会の席で歌われたと考え、秋の自然詠のように見えるこの2首が、どのような意味を籠めて仏教行事で歌われたのか、さらに法会の場で歌うことが和歌の表現にどのような影響を与えたのかを考察しようとしたもの。

経費節約のためなのか、文字がぎっちり詰まった、読みにくい誌面ですが、今まで知らなかった分野なので面白く読みました。1594歌には「仏前の唱歌1首」という詞書があり、2205歌は、神雄寺の址から発掘された歌木簡に記されていたと推定されているのだそうです。すでに上野誠・吉川真司・犬飼隆さんらの論があるとのことで、それらを紹介した後、牧野さんは『古今和歌集』や『後撰和歌集』所収歌から、しぐれ、もみぢ、秋萩に注目して、これらの題材が、時の経過を惜しむ気持ち、人との縁を惜しむ気持ちなどと結びついていると考証しました。また法会は自然美を荘厳とし(自然美が法会を飾る)、人々は法会に参加することで神仏や祖霊の力を身に纏うことができると考えられていたと指摘しました。そして時の経過を歌う歌は無常を再確認させもし、神仏や祖霊と法会の場を共有した喜び、散会する時には惜別の思いを表現することになったのではないかと結んでいます。

未だ手探りしながら、唱導の持つ力を描き出そうと試みた論と見受けました。和歌文学が専門の人なら、異なる述べ方をしたでしょう。法会の場が歌を育てた、歌と仏教儀礼とが双方向に影響し合って、新しい表現が展開していったという風に考えたい、と言っていますが、道は遠そうです。でも、やってみる価値はあるかも。