2人の遁世者

木下華子さんが花鳥社の公式サイト「軍記物語講座に寄せて」に、「遁世者と乱世」と題して、鴨長明西行という2人の隠者の、治承寿永の内乱に対する態度について書いています。隠者・遁世者とは、出家して、特定の組織(寺院や宗教集団)に所属せず、世俗の名利や義務には直接関わらない生き方を言います。かつては中世を隠者文学の時代、と捉える文学史観もありましたし、『平家物語』を隠者の文学ゆえの達成と見る見方もありました。

木下さんは、鴨長明を始め和歌と随筆・説話に跨がる文芸活動を為した人物について、本人の伝記と同時代伝承とから照らし出していく方法を採っています。長明の『方丈記』は、軍記物語が扱うような政事・闘諍については書かない主義で一貫しており、大火・遷都・飢饉のような、現代なら人災と考えるような災害にも、批判ではなく地獄絵を連想して悲しむ地点で留まっているとしています。

同時代の西行は地獄絵を見ながら、そこに描かれた因果応報の罪に対し、憂し、哀れ、悲しという語を以て自問自省した後に、救済への祈りを籠めて作詠しているのではないかとも推測しています。私もかつて、西行のいた時代と平家物語の生成との関わりを考えてみたことがありました(『軍記物語原論』1-1 笠間書院 2008)。

ここ四半世紀、仏教資料の研究が盛んになり、学会は挙って中世を仏教の時代とみなし、『平家物語』研究でも唱導色の強い延慶本が脚光を浴びてきました。そろそろ冷静に、隠者のいとなみ、遁世者の眼が我々の文学に何をもたらしたか、再考されていいのではないでしょうか。折口信夫や石田吉貞からはひと山、ふた山を越えた観点から。