源平の人々に出会う旅 第52回「鎌倉・鎌倉幕府」

 『平家物語』諸本は、「灌頂巻」で終わるものと、六代斬られ(断絶平家)で終わるものとに大きく分けられますが、延慶本はさらに頼朝讃辞を付け加えて終わります。

源頼朝像(源氏山公園)】
 文治5年(1189年)、奥州藤原氏を滅ぼした頼朝は、軍事面での全国支配を達成します。残る大きな問題は朝廷との連携です。建久元年(1190年)11月、頼朝は上京して後白河院と対面し、権大納言・右大将に任じられますが、すぐに辞任します。

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【岩船地蔵】
 頼朝は、娘の大姫を入内させようと画策します。しかし、万全の準備を整えたところで大姫が病死してしまいます。大姫は、幼い頃に許嫁の清水冠者(義仲の子)を父に殺害されて以来、病気がちに過ごしていました。岩船地蔵は大姫の守本尊と伝わります。

 

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源頼朝の墓】
 建久3年(1192年)、後白河院崩御し、頼朝は征夷大将軍に任じられます。頼朝は、次女三幡の入内工作に動いていましたが、建久10年(1199)1月に死去してしまいます。前年12月、相模川の橋供養の際に落馬したのが原因とする説もあります。その約半年後、三幡も病死し、頼朝の野望は叶いませんでした。

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〈交通〉
JR線・江ノ島電鉄線鎌倉駅
        (伊藤悦子)