鴨東通信112

「鴨東通信」112号(思文閣出版)を読みました。いつものようにほどよい長さの、品のいい文章が載った宣伝誌ですが、今回まず読んだのは、北村紗衣さんの「儚いもののアーカイブ化」。北村さんは最近、思いがけないことで「時の人」になりましたが、いい仕事をしている人という噂しか知らなかったので、飛びついて読んでみました。

北村さんの専門はシェイクスピアを主とする舞台芸術。コロナの影響もあって急激に増加、発展している舞台配信を、周辺の映像作品も含めて整理保存、公開・提供する方法を考えるべきだ、という主張です。共感すると共に、作業の膨大さに目が眩む思いがし、さらにJ・ジロドゥの言葉を思い出しましたー劇場を出るとき、私たちはたとえ観たばかりのストーリーを忘れていたとしても、以前よりも何か人生がよくわかるような気になるのだ、もう細部は忘れてしまいましたが、そんな言葉だったと思います。芸能の臨場性、同時共有性を切り捨てた映像には何が残るのか。重い問題です。

本誌にはほかにも川本慎自さん「日食」、牧田久美さん「戦後プリントデザイン資料博捜記」、大場修さん「占領下京都の「接収住宅」事情」など興味深い随筆が載っています。川本さんは、室町時代儒者清原業忠と禅僧桃源瑞仙の問答を通して、不確定な命題に対する2つの立場を鮮やかに説明。牧田さんと大場さんの課題は、私自身の断片的な知識の穴を埋め、戦後日本史を具体的にしてくれました。占領軍の政策、その後の日米関係の中での変化、一般的日本人側からの受容等々、膝を打つことが多い。

表紙の並河靖之作「七宝花鳥文瓶」に目が留まり、いい物だなあと思いました。金属工芸にはこれまであまり関心のなかった私ですが、図録『文字景』(慶応ミュージアム・コモンズ)に出ている銅鏡や水滴をも、いいなあ、とつくづく眺めました。