田辺旬さんの論文2篇を読みました。「北条政子発給文書に関する一考察-「和字御文」をめぐって-」(「ヒストリア」4月号)と、「鎌倉期武士の先祖観と南北朝内乱」(「鎌倉遺文研究」 2018/10)の2篇です。
日本史の専門的評価を下すことはできませんが、2篇とも私には興味のある話題でした。前者は、実朝暗殺(建保7年1219)から嘉禄元年(1225)に没するまで、北条政子は実質的に「鎌倉殿」であったのですが、彼女が出した仮名書きの下知状についての考察です。政子の発給した文書(「和字御文」、「和字御教書」などと呼ばれる)は、書状ではなく、仮名奉書と呼ぶべきもの、つまり政子の仰せを承った奉書とみるべきだと主張しています。さらに、形式的には女院の令旨に似た体裁をとっていること、女文字と言われる仮名で書かれていることの意味を、改めて考える必要があると結んでいます。
後者は白河結城氏を例に、鎌倉末期の武士たちの先祖観、家意識について考察したもの。北畠親房の書状などを資料として、源頼朝との関係が武士たちの家意識に大きな影響を持っていたこと、殊に他の一族との優劣を証明しようとする際には重要であったことを論じていて、読み本系平家物語の成立を考えるには注意しなければならない視点だと思いました。また南北朝期における足利氏の位置づけが、近年、日本史の分野で議論を呼んでいることも分かりました。昨年、日文研の太平記シンポジウムで聴いたやりとりが、思い出されます。